オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

宗教団体が抱えている闇はどこも似たりよったり その2

オンリーです。

 

今日は前回の記事の続きを書かせていただきます。

 

前回の記事

 

nantenhito.hateblo.jp

 

基本は僕が天理教に関わって時代の話を中心にしていきますが、

 

お寺の僧侶さんや他宗教の方に聞いていくと、

 

どうやら同じようなことが少なかれあるということだったので、

 

宗教をされている方、そうじゃない方からみても恐らくうなずけることは

 

多いかもしれません。

 

また、こんなことを発信すると教団からすれば冒涜(ぼうとく)するような

 

記事を書いているかと思いますが、

 

僕自身はあくまで天理教の教団や幹部の方や、

 

信者の皆さんを批判したいわけではありません。

 

「今のやり方をして、本当に後世まで人類が幸せで生きられるのか??」

 

今の天理教という思想・教えを実践する中に

 

本当に陽気ぐらしというものが体現することができるのか??

 

その疑問を提示するとともに、

 

この記事を読んでいただいて、これからどうすれば世界中の人たちが

 

生き生きとする、幸せになることができる居場所を作るうえで、

 

天理教をはじめとした宗教や組織・団体の現実を知る必要があると思っているので、

 

こういった不安をあおるような記事を書かせていただいています。

 

というわけで、そんな重たい内容を、面白く話せたらと思います。

 

2,腐敗する組織の問題

 

これは正直、宗教団体には限らない話だったりもします。

 

政治であったり、メディアやテレビ局・スポーツや音楽団体・芸能事務所等

 

今、昭和世代からずっと続いている組織を動かす立場にある人間というのは

 

日が経つにつれて組織が腐敗していっていると感じます。

 

もちろんそれはその1でも話した少子高齢化にも影響してきます。

 

日本の企業や法人で今でもとられている仕組みというのは

 

年功序列

 

そしてまだまだ根深い

 

「男尊女卑」

 

があります。

 

本来の宗教が求めるべきところというのは大方どこも提唱しているのが

 

「世界平和」であったり、「人類の幸せ」を作っていくところです。

 

しかし、何故か組織となるとそれと矛盾するような現象が起こります。

 

人類みな平等までは言わないまでも、宗教に

 

してよくあるあるなのがヒエラルキー

 

階級制度的なものが存在します。

 

 

天理教もその一つにすぎないところがあるのが、

 

「教会制度」です。

 

平たく言えば男性が偉く、女性の立場が弱く、

 

そして生まれの場所や年齢で人を区別されるような仕組みですが、

 

正直この制度は僕はコロナ後さらに腐敗したと感じているのが、

 

ここ数年で、地方にある教会を総本山にお返しするという件数が

 

1000を超える数があったということです。

 

何故そこまで返さないといけなくなったのか??

 

これについては後述しますが、

 

それだけ若手が離れて継がない時代になってきているといえるでしょう。

 

そのやり方で一番の核になるのが

 

この「教会制度」なわけですが、

 

僕個人としては、天理教に教会は必要なのかという問いについて、

 

はっきり言えるのは

 

「教会はいりません」

 

もはや異端者のような発言ですね。笑

 

でもこれはいろいろと学んできたうえで思うことで

 

実際に教祖について調べていくとわかるのですが、

 

教祖はそもそも天理教という宗教を始めたいとも

 

思ってもいなかったでしょうし、

 

そもそも、「教会を作れ!」という言葉も発したことはありません。

 

それをやりだしたのは当時熱心に信者になった民衆や教祖の取り巻きの方で

 

その民衆が考えた結果が宗教への設立するための認可であったり、

 

教会というものになった結果にすぎません。

 

「講」というものをつくれとはおっしゃりましたが、

 

「教会」をつくれとは言っていないのです。

 

しかし、教団はこの教会を作ることを明治以降推進しすぎてしまった。

 

そこに「理の親」という謎の言葉ができ、

 

教会本部という総本山のほかに大教会と分教会の違うの言葉、

 

ヒエラルキーまで出てきてしまった。

 

これが最終的にヒエラルキーを生み出し、親の世代に救済された人々たちは

 

未だにその呪縛にはまっていたりします。

 

とはいえ、これはその子の世代になったときに、

 

上の方が恐らく立派な人だったら何も問題はないでしょう。

 

しかし、政治家でもなんでもそうですが、

 

「2世3世」は基本的に「1世」より劣ることが多く、

 

現に現在の宗教団体というのはまぎれもない「世襲制」という

 

自分の子供に継がせるしきたりを踏襲している為、

 

2世3世以降がほとんどだったりするでしょう。

 

そのような環境下に育った人たちというのは、

 

ある種かわいそうな人たちかもしれませんが、

 

基本的に能力が高い低い関係なく、

 

その家系で育ったというだけで「先生」呼ばわりされて生きていきます。

 

そういった「考えること」をなまけたルールが出来上がり、

 

偉大な人間ではなかろうと「先生」呼ばわりしないとならなければ

 

謎のルールに縛られる・苦しむ方が多く増えていきます。

 

その1の記事でも出したお供えやお布施にしてもそうですし、

 

本来の教え(道徳)と組織が作った

 

プロパガンダ(誰が提唱したのかわからない思想)

 

のようなものが混在して

 

それをどこが出所なのかも知らずに、考えずに守っていく。

 

そのような人が増えてしまったのがどこの宗教においても多かったりするでしょう。

 

僕の実家は、天理教でいう末端教会と呼ばれ、

 

天理教の教会というのは、ある種ピラミッド型の組織になっています。

 

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↑一番上が教会本部、下が末端と考えればわかりやすい

 

末端で生まれた子供は、

 

天理教の世界では新しい教会などを自分たちで

 

生み出せない限りは一生末端です。

 

いくら優秀でも、能力があれど、末端に生まれ、その世界で生きていくには

 

上の教会や大教会、教会本部を媚びる以外に

 

生き道はないといってもいいでしょう。

 

それがどれだけ能力が劣っていたり、心から尊敬できない人であってもです。

 

ある種、この構造というのは宗教に限らず

 

ネットワークビジネスねずみ講・ヤクザの組織なんかにも使用されています。

 

※そのせいなのか、天理教の若い世代は

ネットワークビジネスにはまる子がめちゃくちゃ多いですw

 

学生時代・天理教本部で勤務をしていた時代は、

これを違和感には感じてはいたものの、

 

この状況を打破することが全く頭に浮かびませんでした。

 

というより、本気で変えられる!と信じていた自分もいたからです。

 

しかし、これは無理だと気付きました。

 

それは、今の若い世代が全員選挙にいっても勝ち目がないように

 

天理教も現在上にいるのはおっさんたちです。

 

天理教の時期真柱になる方は僕と同い年だったりもしますが、

 

ここががんばったとしても、今の幹部の思想を変えられることはできません。

 

それは、上の世代の頭がどうあがいてもアップデートできないからです。

 

教祖時代から踏襲してきたやり方で乗り切れる!

 

あるいは、自分らが死ぬまではなんとかなるだろう。

 

そのような次世代への未来を責任逃避している状況が見えているからです。

 

ある種、2世3世になるにつれて、本来の「信仰」というものが消え去った。

 

いわゆる「おっさん化」した教団に成り果ててしまっているのが現状です。

 

3,教育の問題

そして次の問題が若手の問題です。

 

腐敗した状態でも、打開できる方法というのは何か??

 

「優秀な人材がまだまだいる状態」

 

といったところですが、

 

これも残念ながら、期待はできないでしょう。

 

何故か??

 

これも少子高齢化の問題ももちろんありますが、

 

宗教家の子供である学生のレベルがけた違いに下がっているからです。

 

昔、天理大学といえば、偏差値が高く、

 

というより、大学に入るというのは昔はすごいことでした。

 

相当裕福な家庭であったり、学業ができる子でなければ入ることができませんでした。

 

しかし、今は少子高齢化で誰でも大学に入れてしまいます。

 

勉強ができてもできなくても

 

お金がなくても奨学金という制度で、

 

将来借金を背負ってでも大学に入ることができるようになりました。

 

すごくありがたい世の中ですね。

 

しかし、もちろんそれによっての弊害もあります。

 

結果的には

 

「大学=勉強をしにいく場所」

 

ではなく

 

「大学=学歴という箔を自分に飾り付けるためのもの」

 

または

 

「大学=人生を謳歌できる夏休み的な期間」

 

ちなみに僕は後者でした。笑

 

そんな人が大学には溢れている。

 

特に僕が通っていた天理大学の宗教学科は、

 

入学当初の偏差値は45でした。

 

僕は勉強ができないバカだったので(笑)

 

そんなところに入れただけでも万歳ものでした。

 

しかし今はというと

 

 

36!

 

hensachi.org

 

もっと下がっています。笑

 

俗にいうFランク大学ですね。

 

何かしら志を持って勉強する理由がないと入ることは

 

おススメできないレベルです。

 

高校においてもレベルが下がり気味、

 

何し、親世代からその親のいうことを聞いていればよし!という

 

方がほとんどのため、

 

下になるにつれてどんどん考える能力が下がっていきます。

 

その結果、

 

「高校は天理高校か教校学園(来年廃校予定)、大学は天理大学か専修科(天理教の専門学校)、卒業したら天理教勤務か各教会で青年、女子青年(見習い的な?)、終わったら結婚して、子供をつくって夫婦仲良く暮らす」

 

が何かしらのルールになっていっている気もするわけですが・・・

 

この結果がもたらしたのが、「考える力」が失われ、

 

かつてピーク時だった頃の教団にいた人たちよりも劣ってしまった結果に陥るわけです。

 

ここから打開するには、自分らよりも下の世代がいかに上世代以上にアップデート、

一番は「天理以外の世界を知る」ということが重要なわけですが、

 

これがまあ難しい・・・

 

 

 

4,後継者問題

 

そして最大の問題に取り掛かりましょう。

 

後継者問題・・・

 

まあここですよねー。

 

先ほどもここ2年での教会のお返しが1000件を

 

超えているこの現状からみれば

 

間違いなく後継者がいない教会はこれからも増えていくでしょう。

 

なんで後継者がいないのか??

 

もちろん子供を作らなかった・作れなかったなどという理由もありますが、

実はそれ以上に根深い問題があると僕は見ています。

 

そもそも、今の若い子で天理教の教会長をやりたいと

 

思う人はどれだけいるのでしょうか??

 

普通に考えれば、

 

基本はだれもやりたくない

 

と思うのが賢明ではないでしょうか??

 

収入面をみれば、一般で働くであったり、

 

下手したらフリーターよりも低く、

 

将来性があるかと言われれば、

 

全体を俯瞰的にみてもそんなことはなく、

 

信者で教会にお供え(投資)をしてくれる人は高齢者の方ばかり・・・

 

仮に2足のわらじで仕事したりしても上へお供え(献金)をせがまれ、

 

むしろ、月次祭という例会に毎月自分のところと上の教会と

 

大教会と本部に参拝行けば月4日はなくなり、

 

毎月、おじさま方の説教大会を聞かなければならず、

 

上の世代の古い慣習の人に媚びたり、酒に付き合わされたり、

 

行事やイベントが月に何回もあり、

 

その打ち合わせなども入って毎日忙殺し、

 

空いている時間でアルバイトや仕事をしなければならない。

 

普通に考えれば、

 

現実的に無理ゲーの中で親から強要されてやる子が少なからずいるわけです。

 

そんな人たちが教会長をやれ!などと言われも

 

大体は世間や別の仕事に逃げたり、

 

夜逃げしたり。(これは本当に笑い事ではない)

 

そうこうしていううちに誰も継げず、教会お返し、ということも多くなります。

 

また、そんな現状だからこそ、結婚したくてもできない人も増えていく。

 

男性側がしたくても、女性側はそんな魅力がないところに嫁ぎたいのかといわれたら

 

まあ、嫌でしょう。笑

 

教会の奥さんって、これは最強にリスクがある立場で、

 

うまがあえば問題ありませんが、

 

姑であったり、他教会の奥さんの井戸端会議に付き合わせれるわ、

 

多分散々なイメージが強い方も多いと思います。

 

実際、僕の姉や妹も母親のそれを見てきたのか、

 

一般男性と結婚を選びました。

 

正直言えば魅力がないといえばその通りなのかもしれません。

 

女性が一般男性に嫁ぐのはそんな難しくありませんが、

 

後継者が一般女性を嫁にもらう。

 

これほどとんでもない無理ゲーはないでしょう。笑

 

いやー、天理教は未来が暗い・・・と思われた方も多いのではないでしょうか??

 

とはいえ、この現状というのはやはりほかの宗教をされている方と話すと

 

似たり寄ったりだそうです。

 

仏教もお寺は向こう20年でつぶれるお寺がおおくなるのは明白だと、

お寺の経営学の書籍も書かれていれば、

 

腐敗している組織もあるあるみたいですし、

 

神社(宗教ではないけど)も経営難が多く、

 

昨今では、金毘羅が神社庁を離脱したように、

 

diamond.jp

 

新興宗教のPL教も野球部どころか、学校の存続が危ぶまれ、

毎年花火大会の本数が減っていく始末です(近年はコロナで中止)

 

宗教というものは、現在どこもかしこも闇が深いのです。

 

オワコン化しているのはどこも同じかもしれません。

 

これを見ている天理教の方であったり、

 

そうじゃない方、他の宗教されている方にしても、

 

正直絶望したくなるかもしれません。

 

僕も正直、はっきりいって教団や組織についてはもう無理ゲーだと思っています。

 

でも、一つだけ変えられる場所があるとすれば、

 

「自分の人生とその周りの人の人生は変えることができる」

 

そう思うのです。

 

別に教団の歯車の一部にならなくても、

 

教会から離れようが、

 

「陽気ぐらし」や「幸せの探求」はできるんです!

 

僕は一昨年より、とある仕事をフリーランスで働くことに転向しました。

 

一昨年はちょうどコロナで緊急事態宣言が出た時期、そんな時に

 

当時2足の草鞋でやっていたバイトを辞め、天理教からも手を離していきました。

 

ある種、一時期は無神論者に近いほど、天理教という名前を出したくない、

 

そう思う自分もいたのです。

(もちろんフリーランスで活動しているときは名乗りません)

 

フリーランスで活動していく中、

 

とあるところでお仕事をいただき、そこの事業に手を貸す為に

 

毎度、出張に行き、そこのメンバーと話したり、お食事にいったり

 

お店に足をはこばせていただいたり、

 

最終的に昨年末その事業は成功し、今年も今後関わることになるのですが、

 

その事業が終わった後、天理教のとあるイベントに久々に顔を出した時のことでした。

 

2年間、自分の家の月1の行事だけ参加していたとはいえ、

それ以外は全く関わっていませんでした。

(仕事上関わる人でその人はいましたがw)

 

しかし、その中で色んな方とお話しする中で気づいたことがありました。

 

天理教から離れてからの方が、信仰者になっている」

 

そう、まさかでした。

 

潜在的にかもしれませんが、普段の日常の行動が

 

教えに基づいた行動をしていたのです。

 

自分でも驚きました。

 

そう、外の世界にも「信仰」というものがあったのです。

 

それを知ったとき、組織がすべてではない。

 

僕らが求めるべきものというのは、

 

教団にすべてを捧げるほどお尽くしすることではなく、

 

「自分や周りの人たちを幸せにしていく。」

 

その為に生きていくことが大切だと思います。

 

その上で、道徳をつける為に教理を学び、祈り、

 

毎日を過ごしていくことが大切です。

 

今回、宗教団体が抱えている闇について話しましたが、

 

宗教というものについては日本においては先行きは暗いです。

 

しかし、これを書いている僕や、これを見ているあなた、

 

そしてその周りにいる人の人生は明るいものだと信じ、

 

本ブログとしても今後皆さんが幸せになるためのヒント・

 

きっかけを書けたらと思っています。

 

最後までみていただきありがとうございました。