オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

宗教者必見!本当の「信仰」とは??~教団の内にいてはできない理由~

オンリーです。

 

実家の天理教の教会から出て

早1年半が経とうとしているこの頃。

 

自分自身は「教団の人間」

 

もしくは「所属場所」

天理教で言えば山〇や河〇町など大教会という所属系統がある。

大教会内でも「上級の教会」という系統もある。)

 

とのかかわりがほぼなくなったものの、

常々思うのは、

 

自分自身がなんだかんだ言って「信仰者」なんだなと

思うことが多々あります。

 

宗教団体に入れば本当の「信者」になれるのか??

 

これは外に出たからこそ、

思うべきことでもあるんですが、

 

今の宗教団体というのは

「信仰」をするためのものか??

というと、そういうわけではありません。

 

例えば天理教であれば

宗教法人天理教」「天理教教会本部」

というものを運営・管理するところであって、

 

この宗教法人としてのルール・秩序というものが

組織によって形成されています。

(これが教えと組織が混在する原因にもなっている)

 

そこに現代では、

国の「法律」というものまで組込められています。

(これは長くなりそうなので割愛しますが・・・)

 

これが混在することで、何が本当の教えなのか??

どれが組織のルールなのか??がわからなくなります。

 

組織を存続させるためには??

現実的に「金」「人」がいるわけです。

 

特に戦後日本というのは高度経済成長なども含め、

競争社会というものが激化していきました。

 

天理教でも然り。

現在でも系統内での信者の争奪戦や

(特に戦後の教勢倍加運動がものすごくいい例ですね。)

 

お供え(献金)をする教会(系統)が偉いなど、

 

そういった前時代的価値観というものが

植え付けられています。

 

その上、基本的に天理教外に出ることをあまりよしとせず、

天理の高校・大学や専修学校

 

そして天理教勤務・大教会の青年などを経て

 

御用とバイトや仕事に忙殺しながら毎日を過ごす

天理教の教会長になっていく。

 

天理教という檻の中で生き、

 

一番は天理教の布教をして生きる人間が一番偉いと

されている価値観というものが植え付けられていたんですね。

 

もちろん、組織を運営・管理していく上で忠義を持つこと。

これに関しては僕自身も否定もするつもりはありません。

 

宗教団体は信者を増やせばいいものなの??

 

しかし、信者数を増やすことが果たして本当にいいのか??

 

僕自身は全くそんなことは思わないんですね。

 

天理教にはよふぼく(用木)という

信者の中の信者になる資格がありますが、

 

一時は、これを増やすことに

専念していた時代もありました。

(恐らく上世代は今でもしている)

 

しかし、信者を増やしすぎた結果

起こってくることというのが

 

「信者全体の信仰心・人間性が低くなる」

 

という非常に何ともいいがたい現象が起こり始めます。

 

宗教法人勤務時代、

交通整理などに駆り出されたこともありましたが、

 

「車」の運転って人となりが

本当によく出ますが、

帰参する信者というのは、大丈夫か??

ていう人が多かったことを覚えています。

 

通行禁止のところを

何としてでも入ろうとすれば

 

止められなくて腹を立てていく人など、

色んな方がおられました。

 

一言で言うと

 

「自分たちが近くに停めたい我欲にみまわれた人たち」

 

であふれかえっていました。笑

 

そんな信者を増やしていくよりも

1人でも多くの

本当の「信仰者」

人格が出来上がった人を

作っていくことがとても大切で、

(簡単に言えば量より質ですねw)

 

その方法って、宗教団体の外に出るしか方法がないんだと

外に出てみてから初めて実感しました。

 

例えば、富士山の山の麓から富士山を見ようとしても、

富士山の全体像というものは何も見えません。

(下町を見るにはすごくいい場所ですがw)

 

それと同じで、天理教内にいると、

天理教の本当の内部が見えず、

+、宗教団体などは隔離されているところも多いので

 

外の世界が全くわからないなんてことも

多くあったりします。

 

これは、「教理」という部分でも

外に出てから初めてわかったこと。

というより、中にいてたら絶対に気づかなかった観点なども

多くありました。

 

特に「食事」や「健康」の部分。

 

天理教信者には酒やたばこが好きな方がおおくおられますが、

酒やたばこは過度に飲んだり吸ったりすると

 

体にはまあよくありませんw

肌も荒れれば健康も害するもので

これは当たり前の話ですが、

 

普段食べる野菜やお肉などにしても

神様に供える神饌物なんてものは

 

本当は神様に供えてはいけないものを

供えています。

 

野菜は見た目がキレイなものを供える傾向が

どの教会もありますが、

 

野菜の見た目がキレイなもの=農薬や化学薬品が大量に入っているもの

 

です。

つまり、これは神様に化学的な

「薬」を大量に供えているのと

何ら変わりがないわけです。

 

虫が食べている穴が開いているものや

形が不格好な野菜の方が俄然、神様に捧げるのに

ふさわしい野菜と言えるでしょう。

 

その他、清涼飲料水や調味料なども化学薬品ばりばりなので、

基本的には供えるのはNGですね。

(実家は今でもこの辺を供えている模様。)

 

注射(ワ〇チン)は信仰者として打ってはいけない!?

 

それ以外にも、

コロナ禍の時、

教団として推奨したことが

 

「注射(ワ〇チン」を打て」

 

でした。

(この話題をすると心のシャッターおろす人多いですがww)

 

実はこれって、

社会の風潮的には当たり前だと

思っている人が多いですが、

(日本では8割もの人が打っちゃったみたいですね…)

 

本当に天理教の信者・信仰者だったら、

普通に国に反旗を翻すほど反対しているはずなんですね。

 

(何国民に断りもなく税金を注射代にしとるねん!ふざけるな!

ボケ!ていうレベルで教団内で国にデモを起こしてもおかしくないです。)

 

何故か??

 

「かしもの・かりもの」

という教理にとんでもなく反しているからです。

 

天理教では人間の体というのは

神様からプレゼントしてもらったもので、

 

生きていく為に

この世自然のものでできていますが、

 

そんな自然にできている

植物や動物などの食べ物という命をいただき、

それに感謝をして

僕たちは毎日生きていくわけですが

 

つまり、

「自分で体を物理的に痛めつけること」

 

っていうのは

ご法度(はっと)なわけです。

 

(刺青入れる・髪の毛染める・ピアスあける・タバコ吸う・添加物満載のコンビニ飯・カップ麺・ファストフードを食べる・過度なお酒・清涼飲料水飲むなどもまあ入ります)

 

市販の薬を使うことも割とこれに該当すれば、

食事の際の野菜の農薬などを摂取することもこれにあたります。

(今の時代だとこれを全部なくすとなると、なかなか難しいですね・・・

これに関してはオンリーも最低限できるようにしてます。)

 

その神様からのかしものやかりものである体に

異物(今回のワ〇チン)を混入すること。

 

これは天理教のみならず、

神道・仏教的にもアウトであれば、

 

宗教上というより、

人道的にそもそもがご法度だったりするんですが、

 

そういうことを知らない信者どころか、

上層部であふれかえっているのが現状だったりします。

(ちなみにオンリーはそもそも注射が嫌いなので、0回です。)

 

(ずっと疑問なのは、打っている人がコロナに感染しまくっていて、

打っていない自分が未だにコロナに感染したことがないこと。

何でですか??笑)

 

結局、3回目・4回目(今何回目??)

打たないといけませんになり、

何回も打たせる結果で

勝手に収束したとはいえ、

(何故かまだ感染者出まくってるけどw)

 

そんなことも知らない「エセ信仰者」が多いわけです。

(うちの上級や大教会でも打って当たり前の価値観であふれていると親から聞き、教団のトップが推奨している文を見て更に絶望しました。)

 

内にいては絶対にわからない。

なんなら外に出てからの方が

「信仰者」になっていければ、

 

天理教外でお会いする人や

抜けた人たちほど信仰者だったりすることも

多くあります。(もちろん、逆も然りですが)

 

本当の「信仰」をしていく。

僕自身は教団とはほとんどかかわりがないにせよ、

 

天理教に限らず、

1000年以上続けてきた

本来の日本人が大切にしてきた「信仰」

今後もしていくべきだなと思うばかりです。

(個人事業でも、その辺を意識して事業展開中)

 

教団は衰退するのは必至な世の中ですが、

それより重要なのは、

 

本当の「信仰心」を持つ人を増やしていくこと。

信者を増やすとか、系統がどうとか

そんなことじゃなくて、

 

そういう人間性がある

「信仰心」のある人を増やす活動

して、

天理教が目指す「陽気ぐらし」

「世界平和」に

導いてはいかがでしょうか??

 

本日はここまで!

天理教が衰退する最大の理由とは??~逆に飛躍できる最大の方法~

 

オンリーです。

 

気づけば半年間、

ブログをほったらかしにしておりましたが、、(笑)

 

仕事は順調に、

毎日のんびり過ごしております。

 

さて、本日はものすごい

物議をかますようなお題で

書いていきたいと思います。

 

天理教が衰退している最大の理由とは??

 

「いや、そもそも宗教団体がオワコンでしょw」

 

という意見が飛んできそうですが、、、

 

それはもちろんですが、

割とどこの宗教団体にしても大企業にしても、

 

同じ問題だったりするので

ここを話していこうと思います。

 

そして、「逆に飛躍できる最大の方法」について。

ここもせっかくなので深堀りしていこうと思います。

 

じゃあ、一番気になる衰退する理由とは何か??

 

簡単に言えば、

 

「教団・各教会の上層部に信仰心のない老害達が多い」

が一番の問題です。

 

何故、そういう人たちが多いのか??

一番の諸悪の根源が「教会制度」

呼ばれるものでしょう。

 

この「教会制度」の弊害は何か??

 

簡単に言えば、

分離されていた「組織」「信仰」が交わってしまって、

それが本当の教理・思想なのかがわからなくなってしまった。

 

というのが一番の原因でしょう。

 

これで何が問題になるのか??というと

天理教のみならず、宗教団体というのは

世襲制(せしゅうせい)」というものを取り込んでいます。

 

簡単に言えば、生まれた家で自分の運命が決まる。

上層部で生まれたなら、上層部になれて

下級教会からお供え(献金)がもらえる。

 

末端教会に生まれたなら、末端教会で

上や教団にお供え(献金)しなければならない。

 

別にその上層部の生まれであれば

ドラ息子だろうが

落ちこぼれだろうが、

出世できれば

 

下の人間の能力が高かろうが、

人格がよかろうが、

 

教団内での出世はおろか、

自分の教会だけで食べていくなんて

一生できないどころか、

 

上の教会の言うことに「YES」と嫌でも言わされ、

教団の御用に追われ、

バイトなどで食いつなぐという

何ともいいがたいライフスタイルが完成します。

 

つまり、生まれで決まってしまうという

非常に儚い制度ですが、

(オンリーも教団にいたら間違いなく、今の10分の1くらいのひもじい生活していたでしょうw)

 

これの一番の問題は

 

「2代・3代と代を重ねるごとに、人としての能力・人格ともに低い人たちが量産される」

 

という問題に陥ります。

 

教団の教えに「親を超える」などがあれば別ですが、

基本的には「親孝行」「親を大切にしましょう。」

「実の親」はおろか、「理の親」を立てましょうみたいなよくわからない

教えがあるので・・・

 

ある意味「親を超える」というのはタブーかもしれません。

(親を超えないと人類は進化せず、退化していくんですけどね・・・)

 

その積もり積もった結果こそ、

 

「教団・各教会の上層部に信仰心のない老害達が多い」

 

ざっくりいうと

 

「下には超絶厳しく、上には激甘な組織」

このような結果になってしまったことがあるでしょう。

 

特に天理教の信者の強みとは何か??

 

間違いなく「人柄のよさ」があげられます。

 

個人事業で仕事をやって

宗教が生活にない人たちと関わっていると

 

割と人柄の悪さというところに

気になることが多くあります。

 

人に対して平気でうそをついたり、

家庭環境もブラックなところも多かったり、

SNSなどには

騙しのようなビジネス広告も多数あがってきます。

 

しかし、天理教勤務時代にしても、

周りから聞く話にしても

 

天理教の信者の人柄のよさというのは

割と他の宗教団体からみても、

いい方なんですね。

(もちろん、そうじゃない人も多いのもわかります。)

 

特に信仰心というものを持っている人間ほど、

人格が磨かれている感覚というのは

天理教に限らず、

無宗教の人たちですらも多くおられますが、

 

「信仰心もなく、人格もない宗教者」

とは、これはいったいどんな人でしょう??

 

これほど、やばい人はいないでしょう。

これで若いならまだ救いはありますが、

基本はどこも「信仰心も人格も能力もない老害

しかいないのが現状です。

(言葉が悪くてすみません・・・それくらいやばいからこういう言い方になります。)

 

特に縦社会で作られた宗教団体は、

この類の人たちが多く量産されていることは

明白です。

 

だから旧統〇などでも取り上げられたり、

天理教内でもお供え(献金)問題というのは

各教会でも割とどこでも問題になっていたりするわけですね。

 

その根本の問題が「教会制度」にあるわけですが、

(とはいえ、恐らく上層部が孔子ブッダ・キリストなどの聖人・人格者であれば、

下の教会へのサービスが献金以上の内容を構築する為、恐らく問題どころかもっとお供えしたい!に代わっていると思われる。)

 

んじゃあそもそも「宗教」はいらないのか??

ここに関しては僕も「宗教」という言い方はあまりしたくはなものの、

 

少なくとも人としての道徳心

すなわち「信仰心」がなければいけません。

(逆にここさえ磨ければ飛躍できる方法でしょう。)

 

特に無宗教率が高い日本の若者の現状はどういうものか??

 

・家庭がボコボコ。

・夫婦喧嘩が増加し、離婚率がガンガン上がっている

・シングルマザー率の高さ

・流行るマンガやアニメの家庭状況がブラックなものが多い

・根性がない人が増えている

・頭はいいけど、人柄が終わっている人「利己的な人」の増加

・人をステータス(ルックス・年収・職業)でしか見ない人の増加

・「人生金だ」と思っている守銭奴(しゅせんど)の増加

・人を裏切ったり切ったりすることに慣れている。

 

これが現実です。

宗教心・信仰心がなくなったらなくなったで問題なのが

 

「人と人との関わり方」が下手な人が

増えてしまったというのが現状です。

(それによって金で救われると思っている人が増え、

みーんな孤独に襲われているわけですねw)

 

宗教が与えた「信仰心」というものは

今後の時代にものすごく重要になってはくるものの、

 

天理教団などの「宗教団体」というものは

解体はできなくとも、

 

日本国家の天皇制」と近い形、

 

ある意味、他の下の教会などの

管理や権力をもつのをやめて

「象徴(しょうちょう)」として残すレベルで

縮小はしていくべきかと思います。

世襲での象徴であればまだ可能性はある。)

 

そしてこの「信仰心」というものを鍛えることで

できることこそが、

 

人柄だけでなく

ビジネスセンスを磨くこともでき、

意外にも「お金を儲ける」ことにつながります。

 

お金儲け=お金を信じる者

という漢字でできています。

(実は宗教用語だったりする)

 

これこそ、逆に飛躍できる最大の方法と言えるでしょう。

松下幸之助が何故天理教を視察したのか??

 

それこそが今後の天理教のみならず、

宗教が飛躍できる最大の方法のヒントとなるでしょう。

 

というわけで、

別に天理教にいる必要はないにせよ、

老害たちのおかげで教団が衰退していくにせよ、

「信仰心」というものはしっかり持つだけ持っておき、

今後も人柄を共に磨いていきましょう。

 

本日はここまで!

宗教2世ほど他人(教団)の人生を生きるのをやめよう

 

オンリーです。

連日、時間ができたのでブログ更新をします。

 

僕も家が天理教という

今の世の中的に俗にいう

 

「宗教2世」

 

と呼ばれる人種の人間ですが、

その中で、天理教にしても他の宗教にしても

 

または一般家庭の人たちでも多いのが

 

親や周りの人間から

 

「こうやって生きなさい」

 

というレールを

ひかれて生きていく人が多数だったりします。

 

例えば、実家の天理教で生まれた僕やその周りはどう

言われてきたか??

 

「中学を卒業したら天理の高校に行きなさい」

 

「高校を卒業したら天理大学か専修科に行きなさい」

 

「大学を卒業したら本部(宗教法人)で仕事するか、

大教会青年に行きなさい。」

 

「その後は結婚して、家族を作り、教会長として

お道の御用に全うしなさい。」

 

「そののちは、上級や大教会や本部の言っていることを素直に従いなさい。」

 

 

幸い、うちの家庭はここまでは言われなかったものの、

周りの人間はこのように言われている人たちは

割と多かったように思えます。

 

そしてその進路に親から言われたから進むと

後々親に「自分は〇〇大学に行きたかった」などというと

 

「いや、あんたが天理の大学にいくこと決めたはずよ。」

 

と、いつの間にやらそれ風なことにさせられていることも

人によってはあったりもしたでしょう。

 

(恐らく天理教のみならず、宗教2世や医者の家系・家を継ぐ家系などはこのようなことを言われてきた人が多いかと思います)

 

しかし、これって一体どういうことか??

 

簡単に言えば

 

「他人(教団)」の人生を生きている

 

に変わりはないわけです。

 

先日、久々に天理教信者の後輩(24歳くらい??)と

会うことがありましたが、

 

話していてしんどくなるほど、

会話に困りました。笑

 

理由は、自分のことではなく、

その子の話題のほとんどが他人のことや、

教団のことしか話さなかったからです。

 

「〇〇さん知り合いでしたよね??この間ここで会いましたよ」

 

「〇〇の系統の人ってこんな人多いですよね??」

 

「〇〇はどうしていくんでしょうねー??」

 

僕からすれば、内容はわかっているものの、

今となってはすべてがどうでもいい内容だったんですがw

(むしろ話の内容の薄さに途中からイライラしてましたがww)

 

「んじゃああなたはどうしたいの??」

 

て言うと

 

天理教の行事楽しいんで、

それをやっていくことを今後もしたいなーと思います。」

 

的な回答だったんですが、

 

んじゃあその先に何があるのか??

天理教信者なら恐らくそれで「陽気ぐらし」

つながると思う人がほとんどなのかもしれない。

 

でもそれって、一言で言うと

 

ただの「自己満足」

にすぎないんですね。

 

誰も得をしないことだということです。

その周りも、ただ単なる傷のなめ合いをしている

といっても過言ではない。

 

個人的には、もっと

「自分の人生を生きろよ!」

 

って割と素直に思ってしまったんですが、

 

割とそういう人って多いんだなーと実感をした出来事でした。

 

僕個人としては

そんな自分の人生を生きられない奴が仮に

天理教の教会長なったとして、

 

それで本当に世の中がよくなるのか?といえば

そんなことありえないわけです。

 

だって上の言うことを聞くだけとか、

周りの目を気にして、周りの他人の話しかせず、

 

決まり事だからといって

毎月何回も惰性でやるおつとめや行事をやって、

(真剣にやっている人はごめんなさいw)

 

酒やたばこ、

健康を害する食べ物ばかり食べている人たちに

 

「私たちが、陽気ぐらしを実現するようぼくになります」

 

なんて言われても、何の説得力もないわけですねww

 

だったら、教団から抜けて、

他人の人生を生きることをやめて

 

自分自身の本当の人生を生きる方が

もっと陽気ぐらしにつながります。

 

僕自身は、とある仕事でフリーランス

活動しているものの、

 

その仕事を通して、

最初は自分の為に稼ぎ、食っていけるようにという感じで

始めたものの、

 

今も自分の為ではあるものの、

それが自然と人の為になっているんだなーと

感じることが多々あったりします。

 

それを求めている人たちが一定数いるわけで、

その目的・理念に賛同してくれる人がいるからこそ、

 

今の仕事で食えている部分があります。

 

自分の人生を生きていきたいなら

 

・上(大教会・上級・親)のいうことは素直に断りましょう!

(嫌なことは素直に嫌といいましょう)

・周りの傷のなめ合うような人づきあいをなくしましょう

・共に何かを求めあえる仲間を作っていきましょう

月次祭や行事なども休んで、自分の考える時間を作りましょう

・自己投資(読書したり、セミナー行ったり)しましょう

・自分の人生は自分で舵をとりましょう

・環境を変えましょう

 

特に上の言うことを素直に断るは早ければ早い方がいいです。

 

僕は生憎、大学卒業あたりから

ちょいとずつしてきたものの、

 

できるのであれば中学・高校あたりでできると最高です。

 

天理の高校行くよりも

国公立・せめて関関同立くらいの大学行く方がいいですし、

 

大学も同様です。

家の事情や経済面などもあるとはいえ、

 

天理以外の高校・大学に行った方が

絶対に安泰です。

 

(その他のFラン大学行く方がまだましかも・・・)

 

卒業後も大教会青年はもってのほか、

天理教勤務にせよ、基本的にはしない方がベストです。

 

特に20代の時間はめちゃくちゃ尊い

30代の2年と20代の2年では全く意味合いが別物です。

 

その数年を教団や大教会に時間を注ぎ込むこと自体が

ありえないです。超もったいない。

 

奨学金返還できるとはいえ、

月2万以下の給料とあるかわからない休みが数日あるくらいの

安請け合いはするべきものではありません。

(20代の時間は普通に1か月の労働に100万の価値があるくらい)

 

(自分もある意味4年・高校大学合わせれば11年ドブに捨てたので、

現状めちゃくちゃ痛感しています。)

 

んで、大学以降は

 

絶対に「1人暮らし」をおススメします。

 

実家は家賃や生活費かからないのはありますが、

教会とかだと「お供え払え!」とか

言われるので

 

普通に賃貸に住む方が安泰ですし、

実家の空気感を割と影響受けてしまうので

 

親の影響を何も受けない「1人暮らし」が

一番最適だったりします。

(オンリーも昨年より1人暮らしやったものの、

これには感動するほど効果テキメンでしたw)

 

特に超高齢化社会の中で実家暮らしの最強のリスクは

「親の介護」です。

 

実家にいたら必然的に親の介護をするだけで

自分の人生を棒にふるうなんてざらにあります。

 

それだったら、実家を出て

「子供に介護してもらうなんて甘ったれたこと思うなよ」

 

と牽制をしておく方が得策です。

(その後は兄弟なり、話し合いとかになることになりますが・・・)

 

とはいえ、親にも自分の人生を生きてもらうきっかけになるので

そういう意味ではそっちのほうが得策です。

 

要は、他人の人生を生きるのをやめましょう。

 

あなたの人生は

 

天理教の為の人生なのか??

大教会長の為の人生なのか??

実の親の為の人生なのか??

周りの人たちの為の人生なのか??

 

今一度、考える必要があるなと思ったので

こんな記事を書かせてもらいました。

 

自分の人生を生きて、

その上で世の為・人の為にやっていくことを

おススメさせていただきます!

 

本日はここまで!

天理教にいた時が一番誰も信用できなかった話

オンリーです。

 

天理教である実家を出て

早1年が経とうとしています。

 

実家を出て1人暮らし。

 

最初は1人暮らしをするって

フリーランス個人事業主)として

やる身にとっては超絶ハードルが高かったのですが

 

やってみると案外実家時代よりお金もかからず、

本業での収益も現状右肩上がりのやり方を

踏襲しているおかげなのか、

 

実家住んでいる時期よりも

お金に関しても精神面に関しても

余裕ある生活ができてきている最近です。

 

さて、本日のお題は

 

天理教にいた時が一番誰も信用できなかった話」

 

という何とも辛らつな話をしていきます。笑

 

 

というのも、

先日、1年ほど付き合っている彼女と話をしている中で

 

自分自身が小・中・高・大学

そして天理教勤務時代などを経て、

 

フリーランスになる以前のことを振り返ったときに

 

「そういや俺、その辺とつながっている友達、全然いないんだよね。」

 

と話した時に

 

「それは何でなん??」

 

と聞かれたときに、

 

そういや

 

「なんでそういう友達、いなかったんかな??」

 

とふと疑問に思いました。

 

そこまで環境を変えないといけなかった事情ってなんだったのだろう??

 

それを自分自身もあんまり理解できていなかった部分がありました。

 

特に天理教と関わっていると一番の自慢できることって

知り合いの多さだったりします。

 

僕自身も、学生時代のみならず、

社会人になってからも

FACEBOOKなどの友達は1000人超えていれば、

 

高校や大学はともかく

天理教勤務時代以降は

誰とでも仲良くなれる

 

そんなコミュニケーション能力を

持っていたタイプでした。

 

しかし、周りからは

 

「オンリーは本当に俺の中で親友やで」

 

「オンリーに結婚式のスピーチをお願いしたい。

それくらい、俺のかけがえのない友達なんやで」

 

そう言ってくれている人というのも

割と多くいた中ではあるものの、

 

自分の中ではその子達を本当の「親友」

とは思っていなかった。

 

そんなことを話していて思い出しました。

 

周りはそれくらいめちゃくちゃしたってくれる奴も多く、

離れ離れになっても、仲良くしようぜと言ってくれた人も

通常の人よりはめちゃくちゃ多くいた中、

 

僕自身はどう思っていたか??

 

誰も自分の親友だと思える人がいなかったんです。

実はこれには大きな理由がありました。

 

それは、

 

「自分自身の本音を誰にも言えていなかった。」

 

彼女から聞かれ、

最終的に言語化していったときに

行きついた先がここにあったことを

先日、思い出しました。

 

当時の僕は八方美人。

誰の意見も尊重しつつ、

心の中では違う!と思いつつも

 

周りから嫌われないようにするためなのか??

周りとの調和を図るうえで

 

自分の意見、本音を絶対にさらけださないように

過ごしていた自分がいました。

 

「これを言ってしまったら、恐らくこの人たちとは考えが合わなくなるだろう」

 

「これを言ってしまうと、この世が終わるほどのことになりそう」

 

そんなことを思うことがほとんどでした。

 

特に宗教団体にいる人間というのは

基本的に宗教団体の教えや規則に従順なやつが多かったりします。

 

「上(大教会長・本部の人間)のいうことは絶対!」

 

「某ブログで教団のことを批判している奴はけしからん!」

 

「俺らは上の教団のいうことを素直に聞くことが仕事で、白だろうが黒だろうが、言ったことを忠実にやるのが俺らの使命や!」

 

そんな人らに

 

「いや、俺はその考え、全く理解できないんだよなー」

 

と心では思っているものの、

そういったことは言うことがないまま

 

天理教勤務を終え

実家に帰っていきました。

 

そこから天理に行く際にのみの場で

会うこともあったりするものの、

 

本当に仲いいわけでもなかったのか、

そののちは誰とも連絡することなく、

 

違う天理関係の人間と

表面上仲良くすることはあれど、

 

一定の距離を保ちながら

今の仕事のことを優先する毎日。

 

そうこうしているうちに

新たな人たちとの出会いというものを

求めたくなる自分がいました。

 

「本当に仲良くなれる友達っているんだろうか??」

「本当に何でも言い合える・尊重できる仲間や恋人がほしい」

 

そんなことを思い、

天理教を抜けることを覚悟し、

 

現在に至っています。

 

フリーランスになってから様々な出会いがありました。

仕事をしていく中でお会いする様々なお客様はもちろん、

 

一緒に事業やイベントを作っていく仲間。

 

ネットワークビジネス(事業者集団環境)などの

会合や様々なコミュニティなどにも足を運び、

 

どんな属性の人が来ているか??を

潜入して仲良くなったり、

 

マッチングアプリで出会った彼女(天理教とは無縁)

とお付き合いをし、

 

当時自分の中で本当に言えなかったこと、

人を全然信用していなかった自分が

割と本音を言えるようになったのは

 

ここ最近のことなんだなと痛感させられたわけですが・・・

 

何が言いたいかというと、

 

「本当の居場所、本音を言える場所は探せばどこかしらにあるということ。」

 

現代は家庭崩壊するところも多く、

家族や兄弟関係がディストピア

なっているところも多いと

お聞きします。

 

僕自身もフリーランスで仕事をすることを通して、

割とそういった人を信用できなかった人、

 

闇を抱えていた人・現在進行形で闇を抱えている人

 

そういった人と関わることも多かったりします。

 

が、その時にどれだけ親身になって聞いてあげられるか??

 

それをお供えや献金が当たり前のように行われて

助かるのは筋が通らなければ、

 

その謎の過去の清算をいつまでも続けないといけない

環境になっていることはいうまでもなく、

違和感を覚えていますが

 

そうじゃなく、

宗教とかそんなものを取っ払った

新たなコミュニティを作るはもちろんのこと、

 

自分自身のレベル・環境を変えていくことが

そういった本当の居場所・本音を言える場所に出会うことができる。

 

それがただ僕自身は実家の天理教ではなかったってだけ。

 

それ以外にええところはたくさんあるし、

むしろそれ以外の場所にいけるからこそ、

自分自身の人間的レベルの向上

 

「成程の人」

 

を目指せるなって感じです。

 

天理教はもちろんのこと、日本にしても

未来というのは「暗い」といわれることが

多いのが現状です。

 

でも、逆を言えば

 

「自分自身の未来は、どんな状況でも明るくすることができる」

 

自分自身の人生を決められるのは自分です。

 

自分自身の人生をよくしていき、

周りの人生を更によくできるような事業を作ったり、

活動をしていくことが、一番の「志」になる。

 

だからこそ、これから信用できる仲間・恋人などと

人生を歩んでいきたいですね。

 

本日はここまで!

 

天理教の教祖が提唱した商売人の「高う買って安く売れ」の本当の意味

オンリーです。

 

今回は天教教祖伝逸話編165にでてくる

 

「高う買うて」

 

という一番逸話編に残っている

不可解な考え方・思想について発信をしていきます。

 

wobiya.tokyo

 

学生時代や社会人になって

一時天理教にどっぷり浸かっていた(笑)時期があった中で

 

この考え方だけは僕もあんまりピンとこない状態で

現在の年齢になりましたが、

 

フリーランスとして活動していく中で

この考え方って割と頭で理解できていないと

絶対わからないなってことが

 

最近になって身に染みてわかったので

これを上手いこと記事にしちゃいたいと思います。

 

というより、この「高く買って安く売る」

普通に考えれば

 

確かにありえない考えです。

 

商売には確実に「原価」というものが

かかってきます。

 

飲食店などではいかにこの原価をおさえることが大切で

大体30%~40%くらいに抑え込むだけでもなかなか難しい。

 

そこに「人件費」という経費がかさんでくる以上、

利益を出すためにはいかに原価と経費を抑え込んで

利益に変えるか??

 

普通に考えたらそういった

発想になってしまうことが多かったりします。

 

しかし、これは一つの

「店舗」をもって「モノ」を売る

というパラダイムの中での話。

 

ある意味商売をしたことがない・

店を持つという発想しかなかったり、

 

もしくはやり始めた「従業員」レベルの頭の発想しかない場合は

このような考え方にしか陥らなくなるので

 

「高く買って安く売る」っていわれても

 

「無理に決まってるだろ!ふざけるな」

 

てなるわけですねww

 

ただし、これがモノを持たずに売る

「専門職」「個人」「経営者」などになると

この辺の考え方が割と筋が通りやすくなります。

 

特に専門職がわかりやすいですね。

僕自身も、とある技術を持っていて

 

現在フリーランスとして活動していますが、

 

その技術を持つために数十年以上、お金と時間をかけて

学んだり・実践したり、

 

そして自分自身の影響力を高める活動というものをしてきたわけです。

 

時間で言えば数10年。お金で言えば1000万円以上をかけて

習得してきたものなわけですね。

 

でもこの技術を数千万円で売ろうとしても

恐らく誰もいらないわけです。

 

高すぎて手が届かないわけですねww

 

んじゃーこれを数千円・数万円単位にすればどうか??

 

場合によっては数十万円単位のものもあったりしますが

そうすれば、手をのばしてサービスを買ってくださる方って

出てくるわけです。

 

それを数十年、色んな人にそのサービスを使ってもらうとどうでしょうか??

 

そう!何千万円もかけて作り上げた自分自身の技術が

数千万円以上・または億・それ以上の利益になって返ってくるって感じです!

 

これが「高く買って安く売れ」の本質です。

 

特に経営者や投資家の思考って、

ほぼほぼこんな感じなんですね。

 

不動産とかは最たる例です。

僕も現在、賃貸アパートに住んでいますが

賃貸アパートって大体そんな仕組みなんです。

 

オーナーが先にアパートを一括で買っておいて、

それを月々数万円で人に貸していく。

 

これこそ「高く買って安く売れ」

の原理を利用した方法だったりします。

 

恐らくこういった考え方で発信はほとんどされていませんが、

ある種一つの考え方としてこれを持っておいた方がいいなと思ったので

 

今日はこんな記事を書いてみましたとさ。

 

それをいつしか逸話編の中では

「周りを喜ばせ、自分は薄口の貧乏でいい」

 

そんな、何とも宗教らしい

「お金儲けは悪だ」論を伝える為に

解釈を変えてしまった部分があるのは仕方ありません。

 

ただし、この考え方には問題があって

 

「他の人は喜ぶかもだけど、自分は負け組になってしまう」

 

ざっくりいうと、

 

「自己犠牲をしなさいという思考をもちなさい」

 

という

勘違いが起こりやすいことです。

 

実際は上記のように、

「高く自分で技術や知見やサービスを作り、それを分割して安く売る」

 

という意味合いの方が現代的には合っているんじゃないかと思います。

 

僕らが普段利用しているAmazon

ネットフリックスなんかがいい例でしょう。

 

たくさんの商品がそろっているサービスを高い値段で開発して

安い値段で家に届く仕組みにしているわけで、

 

何億以上の高いお金を使って動画サービスを開発して、

それを安いお値段でたくさんの人に提供する。

 

経営する側も、働く側も買う側も誰も負けない

サービスにしていく。

 

これが商売の真髄である「高く買って安く売れ」

本質だったりします。

 

このように、天理教の外で活動してるからこそ、

教祖が求めていた本当の考え方・マインド的なものが

見ることができるようになっていきます。

 

天理教内でしか活動していない人は、

本当の信仰を深めたいのであれば、

 

教団の外(一般社会・資本主義社会)で活動していくことを

おススメさせていただきます。

 

本日はこれくらいにしておきます。

 

ものを大切にするために本当に必要なこと

 

オンリーです。

 

昨日は生かされていることに感謝することに本当に

必要なことということで、

 

 

nantenhito.hateblo.jp

 

割と見ていただく方も多く、

共感していただいた方も多かったのはもちろん、

 

天理教では今年からどうやらあの

 

こどもおぢばがえり

 

が復活するそうですww

 

https://tenrikyo-shonenkai.org/img/186KOGyoukou.pdf

 

炎天下のやべえ真夏の祭典復活ということで・・・

(普通に熱中症なって死ねるイベントです)

 

さて、この天理教が開催している「こどもおぢばがえり

このイベントでは

 

僕が子供の頃から掲げられている教えの中に

 

「3つの約束」

 

というものがあります。

 

「生きる喜びを味わいます」

「ものを大切にします」

「なかよく助け合います。」

 

 

前回の生かされていることに感謝するというのは

このこどもおぢばがえりの中で言われている

「3つの約束」の

 

「生きる喜びを味わいます」

 

からとってきたものなんですが、

 

今日はその3つの約束の一つである

 

「ものを大切にします」を実践するうえで本当に必要なこと

 

というのを発信していきたいと思います。

 

これって割と簡単なようでめちゃくちゃ難しいww

というのも解釈を間違えると、

割と沼にはまってしまうところ

だったりもするので

 

今日はこれを本質的に実践できる

ブログ内容にしていこうと思います。

 

んで、ものを大切にしますでよく間違って解釈されるのが

 

「どんなものでも大切に使っていきましょう!」

 

といわれがちです。

 

服とか靴とか、

かばんであったり、

 

そういったものをボロボロになるまで使うこと。

もちろん、それってめちゃくちゃ

大切だと思うから使っているのは

わかります。

 

が、すべてのものを大切に使った結果、

どうなっていくのか??

 

自分の家がゴミ屋敷になっていきますww

 

 

特に服や雑貨・かばんや粗大ごみや本などなど、

 

ものを大切に扱おうとしすぎた結果陥ってくるのが

 

「何も捨てられなくなる病」

 

になる人が多くなってしまうんですね。

 

これ、割と上の世代の人で陥っている人がめちゃくちゃ多いです。

 

オンリーの実家も、例に及ばず

このような家庭でした。

 

教会であることから、

敷地はめちゃくちゃ広く、

収納スペースもめちゃくちゃたくさんあることながら

 

家がゴミ屋敷寸前になっていることに数年前に気づいたのです。

押し入れには物が押し込められ、

 

収納スペースを買い足しているにも関わらず

それに収まらないほどの物の量。

 

そこから実家生活中というのは

 

断捨離を進めていったんですが

そこでとんでもないことに気づきます。

 

それは、母親父親のものだけでなく、

 

祖父・祖母の代のものも、

家の押し入れの中に大量に眠っていたのです。

 

昨年の1人暮らしを始めるまでにとりあえず

あらゆるものを粗大ごみや可燃ごみ

廃品回収などを利用して家の中から

 

ガンガン捨てていったものの、

まだ終わっていない状況だったりします。

 

割とこれってうちに限らず

どこにでもなっている現象だったりします。

 

物というのは、大切にすることは大事ではあるものの、

 

使っていないものに対して執着するのは違います。

 

日本には付喪神(つくもがみ)」という

信仰する考え方がありますが、

 

「大切に使っているものには魂が宿る」

 

大切に使っているものは大切に使っているからこそ、

それだけ使ってもらえるからこそ物も嬉しく思ってもらえる。

 

そんな考え方というのはありますが、

 

普段使っていないものを野放しにおいておくとどうなるか??

 

その使っていないものは

 

「ほこりまみれ」

 

になります。

 

つまり、

 

「いつか使うから」

 

で置いといたものは

年数がたっていくにつれ

ほこりまみれになっていき、

 

自分が住んでいる家のスペースを圧迫させれば

経年していくとほこりが積もっていき、

その「いつか使うから」も年が経つごとに

 

みるみる増加していきます。

 

それを数年続けていくだけで

家の中が「ゴミ屋敷」になっていくわけですね。

 

じゃあどうすればいいか??

 

簡単なことです。

 

不要なものは「断捨離」をしていく

 

です。

 

そう!断捨離です。

 

いらないと思ったものはとことん、

捨てていくことが大事です。

 

数年着ていない衣服とかはどんどんゴミ箱にいれていき、

 

使っていない備品・紙面などもどんどんゴミ箱に入れ、

 

「いつか必要だな」て思うような

書類とかは全部PDFスキャンしちゃって

パソコンにバックアップとっておいて

 

どんどん捨てていく。

 

これが一番

 

「ものを大切にするために必要なこと」

 

です!

 

そうやって断捨離を進めていくことで

 

本当に大切に使わないといけない「物」

しっかりと出てきます。

 

例えば僕の場合だったら

仕事で使う道具

(パソコンやiPad・その他もろもろ)であったり、

 

着る服やスマホ・カバンや

彼女にプレゼントでもらったアクセ・ケース等、

 

そういったものは割と大切に使うように

意識できるわけですね。

 

そうやって大切に使うものを決めることで

本来の「ものを大切にします」が実践できるようになります。

 

そして、不要だなと思ったものは

おいていても可哀想なので、

 

ゴミ袋に入れて、即座に断捨離をしていきます。

 

服とかも数年着ていないものはゴミ袋に入れていき、

仕事上書籍などは買うものの、

 

本などはとあるところで

ライブラリを作ろうとしている

施設があったので

 

読み終えて必要がなさそうな本は

全部その施設に献本していき、

 

また必要になったらそこにいって

返してもらえばいいだけなので

必要な分だけ自宅に置いて、

それ以外は献本するようにしています。

 

特に、部屋の中が物やゴミで散乱している状態というのは

 

人間の体でいえば、便秘している状態に等しいです。

 

体の体内に不廃物が溜まって、

体内がめちゃくちゃ汚い状態になっているのと

等しい状態になるので

 

そうなるとどこかしら体が不調を冒しても仕方ないですよね??

 

部屋も同じです。

特に自分の部屋とかって、

自分の心の状況・体内状況を表しています。

 

部屋が汚かったり、物やゴミで散乱している人というのは

自分の心がストレスなどで乱れている状態になりがちですし、

 

逆にけっぺきすぎる人は部屋もけっぺき並みにキレイです。

(これはこれでちょいと問題w)

 

そこから生かされていることに感謝にもつながるのですが、

食生活が乱れていくケースにもなりがちです。

 

だからこそ、物は大切に使う上で重要なこと、

 

それは、大切に使うもの以外は「断捨離」をしてあげることです。

 

そうすれば、残すものに対しての愛着心が湧き、

更に「ものを大切にします」を実践することができるでしょう。

 

(ここまで子供に教えられたら理想ですが、

やみくもにものを大切にしますと教えるのは割と危険なんですねw)

 

ということで、本日は「ものを大切にします」を実践するうえで

本当に必要なことということで、

 

こどものイベントの約束事を

大人になってこれの実践の難しさを痛感した内容でしたとさ。笑

 

本日はここまで!

生かされることに感謝する為に本当に必要なこと

 

オンリーです。

 

本日はなんか天理教っぽいことを書いていきましょうw

 

「生かされることに感謝する為に本当に必要なこと」

 

実は数年前、

まだオンリーが天理教の後継者を辞退していなかったころ、

とある天理教にオンラインイベントに

参加したときのことだったんですが、

 

その時期ですら、

月次祭天理教イベントに出ておらず、

(というより、コロナでほぼなかった時期ですねw)

 

ほぼほぼ天理教から離れていたものの、

そのオンラインイベントだけちょっと

どんな感じかなー??て試しに参加したことがあったんですが、

 

その際にびっくりしたことがあったのが

 

大体そういった天理教のイベントって

「自分できてないわー。やらんとあかんなー。」

 

てめちゃくちゃセルフイメージが下がりたくなるような

そんな練りあいばっかりをやりまくるのが

 

天理教らしい練りあい・談じ合いなんですが、

その時の僕は完全真逆だったんですね。

 

「なんか、関わっていない今の方が信仰者っぽくなっている!?」

 

そう!何故か関わらなくなった1年間で

自分が今まで以上に信仰者らしくなっていたことに

 

気づかされた時期というのがあったんですね。

 

その中の一つがこの

 

「生かされていることに感謝する為に必要なこと」

 

だったんですね。

 

じゃあ生かされていることに感謝することに必要なことって何か??

 

僕が思う生かされることに感謝すること。

 

天理教の組織の人間ならこう思うかもしれません。

 

「それは、上の言うことを素直に聞くことだったり、

親孝行をすることや、朝づとめ・夕づとめにちゃんと出て、

ひのきしんをしていくことじゃないのか??」

 

んー、それをやって本当に感謝できているのか??

 

恐らくできていない人がほとんどだと思います。

 

その結果、やっていることは何か??

 

酒やたばこをやめられない毎日が始まり、

(人によっては清涼飲料水ばっかり飲む人もいますねw)

 

食事も添加物まみれのご飯を食べたり、

 

飲みの後には締めのラーメンを食べ、

体にはどんどん不健康なものを摂取しまくる毎日・・・・

そして運動不足・・・

 

日々の御用や会議・行事をこなし、朝づとめ・夕づとめをやり、

食べていく為にバイト(仕事)を空いている時間に全振りする・・・

普通に睡眠不足になりますねw

 

 

そう、生かされることに感謝する本当に必要なことって

 

「食事」

「運動(仕事)」

「睡眠」

 

この三つをしっかりとバランスをとってあげる

っていうめちゃくちゃシンプルなことです。

 

食事

まずは食事をしっかりとすること!

 

実際、現代でまともな食事が食べられるところって

実はほぼほぼなかったりします・・・w

 

コンビニやファストフードで手軽に食べられるものの、

この辺の食べ物には何が入っているか??

 

そう!

 

添加物の集合体です!

 

コンビニのおにぎり・弁当・サラダ・揚げ物・パン

カップラーメン・スナック菓子など、

 

この辺は一番やばいですね。

食品を保存するうえでやばいものが

大量に入っているわけですね。

 

ファストフードも同様です。

Mがつく店やチキンのお店なども基本的には

添加物が海外の基準の倍以上は入っていますし、

 

基本的にはこの辺は不健康になる食事です。

ちなみに、チェーン店の牛丼や寿司・ハンバーグ

ラーメンもあんまりこの辺と変わらないですね。

 

んじゃあ何を食べればいいのか??

「自炊したご飯」「定食屋」

 

です。

栄養が偏らない食事をすることが

一番生かされることに感謝するうえで

体を大切にするうえで大切です。

 

ちまたでは、

 

「スーパーで売っている98%のものは添加物などなにかしら入っている」

 

ともいわれますが、

この辺は気にしすぎもよくはないのでほどほどにw

 

野菜はもちろんのこと、

基本的にはタンパク質と良質な糖をとることが重要。

 

一番いいのは鶏肉と魚と米です。

 

米は糖質がどうたらとか、

地中海食がいいやらいう人もいますが

 

それは外人の話。

 

日本人が合っている食事は基本的に「米」です。

所詮は欧米人たちが得意とする

ポジショントークなので

気にしなくていいでしょう。

 

飲み物も基本は水を2ℓのむことをおススメします。

 

これだけで肌はキレイになります。

というのも、人間の体の70%以上は水分。

 

ということは、生かされていることに感謝するためには

 

水をしっかり摂取すること

 

が第一条件になります。

 

水以外はダメですか??

基本は水が一番いいです。

 

というのも、お茶やコーヒーは

カフェインが入っているので

外に出てしまうので、あんまり水分補給にならなければ

 

清涼飲料水は論外ですね。

砂糖がとんでもない量が入っているので

特に炭酸飲料は一番やばいですね。

 

糖分0とか0カロリー書いているものも

ちゃんとみれば「甘味料」という

 

砂糖よりもやばい奴入っているので

基本的には糖尿病の元凶になるので注意です。

 

お酒も、体内にある水分をアルコールが

なくしてしまう作用があるので

飲みすぎはダメです。

 

飲みすぎているときでも、水を間に入れておけば

マシにはなるって感じですね。

 

天理教の酒飲みの

おじさま方の

肌を見れば

一目瞭然ですが、

 

キレイとはいいがたいですよね??

これは食生活ももちろんですが、

酒・たばこが原因の人が割と多かったりします。

 

タバコは1本吸うだけで30秒ほど

寿命縮まるとはいわれてはいるものの、

 

それ以外の部分でも見ても

大体喫煙者が30代を越えてきたときに

露骨に老け顔になるのはもちろん、

肌が汚くなっていくのがわかります。

 

女性の喫煙者は肌のツヤ・ハリが

非喫煙者の倍くらい露骨に違いがわかります。

 

(この人タバコ吸っているなってみただけでわかるようになります。)

 

肌が汚くなると、肌に水が行き届いていない状況なので

別のところ(内臓関係等)はもっと

水が行き届いていない状態になってしまうので

病気になる可能性もがっと上がります。

 

その為に水分補給はこまめに、

毎日2ℓ以上は飲むように心がけましょう。

 

オンリーも大体1日3ℓ以上はちょびちょび飲んでいます。

それのおかげなのか??肌は常にキレイな状態をキープできています。

(たまにアトピーなどで荒れることはありますが・・・)

 

運動(仕事)

なんだかんだいって、

生かされていることに感謝するためには

 

「仕事」をすることです。

 

とはいえ、ただただ

青年ひのきしん隊のような現場作業や

草むしりをするって話ではありません。

 

(オンリーも個人事業主ですので、基本的には体動かす仕事ではありません。)

 

今の時代はオフィス内での仕事も多く、

外に出る仕事というのが当たり前ではなくなりました。

 

しかし、それでは体が鈍ってしまい、

それこそ年を取ったときに不健康になり

生活習慣病になりかねない。

 

それを予防するうえでやるべきなのが

 

「運動」です!

 

この運動をやっているかやっていないかで

生きて行く上での幸福感も全く違うのだとか。

 

脳内にセロトニンという物質が出てくることで

健康的にもなれば、幸せにもなりやすい体質になるわけですね。

 

とはいえ、いきなりランニングや筋トレしろという話ではありません。

 

最初はウォーキングで大丈夫です!

 

1日20分歩くだけで全然変わります。

年に1回十三峠越えするよりも、

 

1日20分歩く方がよっぽど効果があります。

 

それに慣れてこれば、ランニングや筋トレなどに

変えていけばいいのです。

 

というのも、オンリーもコロナ期間に

個人事業主に代わりましたが、

連日続くステイホームもあったおかげで

運動しなさすぎで気が滅入ってきてしまい、

 

「このままではやばい!」

 

と思い、近くの公園に毎日ウォーキングを

始めたことがきっかけでした。

 

そこからいつしかランニングを始め、

最近ではジムに週に2,3回ほど筋トレに行くほど

運動好きになってしまいましたw

(ちなみに元々運動大嫌いですw)

 

ただ、運動をしていることで

頭の回転もめちゃくちゃ上がることにより、

 

仕事もめちゃくちゃ調子よく、

前に比べて心がやむこともほとんどなくなりました。

(日光を浴びて体動かすとめちゃくちゃ心も晴れやかになります。)

 

+、この時間にイヤフォンで音楽ではなく、

色んな勉強関係の音声を聞く時間に変えることで

 

運動+勉強という自分の中で実りのある時間を更に

過ごすことができるようになっていったのです。

 

当初はYouTubeなどの

勉強系動画(中田〇彦のYouTube大学等)

を流し聞きしていましたがww

 

とはいえ、最初はそんなもので全然大丈夫なので

そのような運動する時間を作ることこそ、

 

生かされていることに感謝を本質的にしやすくなるわけですね。

 

「睡眠」

 

最後に重要なのが言わずともなく

「睡眠」です。

 

学生時代の学生会などでは

 

「24時間、学生会の為に心を尽くす覚悟を持て!」

 

などととんでもないほど体育会系のことを

言われた記憶が懐かしいですがw

 

これは割と間違っていて、

睡眠不足になることで、

思考が正常じゃなくなることで

パフォーマンスが低下するっていうのは

 

割といろんなところで言われたりしています。

 

「エッセンシャル思考」という本の中では

 

「睡眠不足はお酒で酔った時と同じくらいの状態になる」

 

とよく言われていますが、

本当にその通りで、仕事など何に対しての

パフォーマンスが低下することから

 

基本的に睡眠は生かされていることに感謝する上でも

自分の体を大切にしていく為にも

睡眠をとることは最重要視した方がいいくらい、

 

するべきことだと思います。

 

僕の場合は基本的に7~8時間は確保できるようにしていて、

時には寝ずに行かないといけない時もあるとはいえ、

 

それは数年に1,2回くらいにしています。

それ以外は絶対に寝ることを第一に、

 

どれだけ忙しかろうが、昼寝をとってでも7~8時間寝ることを

意識しています。

 

(大体12時前後で寝て、7時か8時くらいに起きる生活。帰りが12時超えたり遅い日は、次の日を9時10時まで寝れるように調整する。)

 

そうすると仕事もはかどれば、

体の状態も基本的には常々元気でいられます。

 

とはいえ、天理教の実家にいる時は

嫌でも朝づとめの音で起こされることがしばしばありました。

 

朝づとめに出るくらいなら

それに出る時間を睡眠にあてて

その後自分の中で日記や日誌を書いて

今日何をしていくのか??を整理する方が建設的です。

(朝につとめをして、朝礼をする意義というのは

実際は集団戦の中でそこが目的なので、

それを個人に直すとこのような形になります。)

 

それか、教会じゃなくても近くの神社に歩いて

参拝だけするで全然大丈夫です。

 

オンリーの家の近くに神社があるので、

朝ウォーキングも兼ねて神社参拝をたまに行くようにしています。

 

皆さんも生かされていることに感謝する上で

睡眠をしっかりとるようにしていきましょう!

 

本日はここまで!