オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

年寄りは自分の生き方に執着する~親世代を教育する時代の到来~

オンリーです。

 

前回はお供えという固定費をなくせ、というお題でお話ししましたが、

 

 

nantenhito.hateblo.jp

 

 

今日は

 

「年寄りは自分の生き方に執着する」

 

という、なんとも皮肉なキャッチコピーにしてみましたw

(これは上世代からは炎上する題名ですねw)

 

特に天理教の上世代のおじさま方というのは、

ほとんどが自分の生き方に執着しがちだったりするんですね。

 

どういうことか??

 

天理教というラベルの中でしか生きることができない脳内構造になっている」

 

こういってしまえればいいでしょうか??

 

ざっくりというと、

 

「時代にそぐわない頓珍漢(トンチンカン)なことが常識となっている」

 

といえばいいでしょうか??

 

とはいえ、これは天理教に限った話ではありません。

 

例えばメディア。

 

最近テレビやメディアは本当にビックリするくらい、

 

「自分らの知能レベルが低くなりました!」

 

て大声で叫んでいるほど、

 

自分らの知能レベルが低いことしか発信できなくなりましたよね??

 

コロナにしてもそうですし、

 

安部首相の暗殺にしても、

 

不可解な謎には触れず、

 

統一教会の問題ばっかりを粗さがしし、

 

政治家もそんなくだらないことに時間を割くばかり。

 

野党はただただ批判するだけの野次馬しかおらず、

 

それより深刻な問題は

 

「どの業界も若い人いねー・・・」

 

の方がやばいと思わないですかね??

 

これは大企業にしても、宗教団体にしても、

 

どういった組織でも今大きな問題になっているでしょう。

 

僕がやっている業種の仕事でも、

 

周りを見渡せば若い世代、全くいませんねーw

 

自分の周りはたくさんおれど、他の環境ではまあみることがない。

 

何故か??

 

それこそが

「年寄りが自分の生き方に執着している」

 

からなんですね。

 

例えば、

部活のOB会などでやりがちなことですが、

 

「俺の時代の時は~で~で、全盛期だったんだぞ!」

 

とか

 

「昔はこうやっていたんだから、お前らもそのやり方をやるべきだ!」

 

とそういった

上の世代たちの「過去の栄光」というものを

披露され、

 

それを延々と聞かされエネルギーを消耗する学生というのが

今の時代にもどうやら存在するみたいです。

 

特に縦社会の組織・団体であればそういったところも多く、

 

年功序列の世界であったり、

天理教のようなお家柄、世襲

教団内のヒエラルキーが決められている

組織などは

 

「上であれば神様に近い存在だから偉い」

 

という何とも訳の分からない制度というのが

未だに横行して

まかり通っているので、

 

それに従っている上の世代はそれを

更に下の世代にやらせようとするわけです

(これを従っている下の世代や若い世代は何ともかわいそうですが・・・)

 

とはいえ、これに対して若い世代も黙ってはいないと思っても、

 

こういうところこそ、

「上のいうことが絶対」であったり、

「若造が意見を言う筋合いはない」

「そういった意見に耳を傾けず、自分らの意見だけを突き通す」

 

こういった傾向が強く、

それこそ前回ブログでもあげた

 

「余計なことを考えるな」

 

という洗脳社会を形成していたりするわけですね。

 

まさに「リアルシャドーハウス」ですねw

 

 

nantenhito.hateblo.jp

 

そして厄介なのは、

年寄りは自分の生き方に執着します。

 

例え頭の中で違うとわかったとしても、

それを違うと認めてしまえば、

今まで自分らがやってきたことがすべて否定されてしまう。

 

だからこそ認めるわけにはいけない

何とも言い難いプライドが邪魔し、

 

いつまでも今までやってきたことを踏襲し、

下の世代にもそれを強要させる慣習というものが

構築されていきます。

 

やばいですねw

 

んじゃあどうすればいいのか??

 

今後の世の中で一番必要になってくること。

 

それは・・・

 

「親世代を教育する」

 

 

いやー、とんでもないこと書きますねw

 

とはいえ、もうこれしかないというところまで来ているのが現実です。

 

とはいえ、これは多分天理教からすれば、

 

完全真逆のことをやっていくわけですが、

 

とはいえ、天理教の中での「親孝行」って

「親のいうことを素直に聞く」

 

とか

 

「親が楽になるように働いてあげる」

 

という意味合いが大きいですが

 

これってもちろん、いい時もあるのですが

 

逆も然り、親孝行になることも最近はあるのではないか??

 

「親に人としてよくなってもらいたい」

 

そういった目的で親のいうことを聞かないであったり、

 

親を動かせることをすること、

 

現代では認知症であったり、

親を介護をして自分の人生を生きられなくなる

若い世代の人も多くいるとお聞きします。

 

そうならないように、予防をしていくには??

 

親に考える力を持たせ、そして体を動かせるきっかけを作ること。

 

そういった意味で、自分の頭で考えさせる素養を

親に持たせること状況を作ること

 

そして少しでも動かせるためのアクションを

こちらから打つことも大切です。

 

「親は子供を育てるもの」

 

いままではそう考えられてきたでしょう。

 

しかし今は完全逆のパターンも然りある時代に突入しました。

 

「親世代を教育する」

 

オンリーは、年齢関係なく

後輩だろうが先輩だろうが、

学ぶことってたくさんあると思います。

 

例えば、若い世代の子の方がパソコンや

SNSスマホの扱いには慣れていますし、

流行りなどに対しての観点は圧倒的に

若い女の子の方が長けています。

 

そして上世代の人たちは、どうやって生きてきたかの経験は

少なからず僕らより持っている。

 

だからこそ、そこも尊重はするものの、

その経験が現代といかに適応しているのかを

見極めてアクションに

起こしていくことも大切です。

 

要は、上だろうが下だろうが、

どちらからも学べることはあるのです。

 

それを自分は年が上だからとか、そういった先入観で

下の世代の話を聞かない老人というのは

考えものです。

 

だからこそ、子供は親に育てられながらも

親を教育する必要がありますし、

親は親でその子供の意見や学びに対して

聞く耳をもつことが求められる。

 

それができない家庭や組織というのは

今後廃れていくことしかできなくなる。

 

現に天理教などの宗教団体はじめ、

大企業などは2020年のコロナを境に、

 

とんでもない勢いで衰退に走っているのが現状だったりもします。

 

それはある種、教団であったり教理の乱用での権力で

子供たちを無理やり従わせていたり、

 

考えさせないような仕組みを作っていたツケが回ってきている状況です。

(ある意味、因果応報ですねw)

 

とはいえ、人というのは簡単には変わりません。

 

自分らがやってきた行いを正当化する。

 

それが人間だからです。

 

オンリーの実家では現在

親側(1人しかいないw)と子で分断が始まっており、

 

親は昔ながらの天理教というものを

継承し、子供にもそれをやらせたいという気持ちでいっぱいですが、

 

子供側からすれば、そんな呪いのようなことは早くやめてしまい、

天理教とかそんな枠組みにとらわれるのもやめて

 

まずは廃藩置県(はいはんちけん)

 

教団や大教会・上級という付き合い方というものを見直し、

訳の分からないお供えやお布施・行事をなくし、

上からのお告げなどはすっぱり断れる空気感を構築し、

内側の自己満足に浸っているような空間ではなく、

 

もっと世の中の為に、人の為にある場所を

宗教色を99%なくして使っていく。

(宗教法人としては残し、表上は

人が集まる場所としてしか使わないやり方を構築していく)

 

そしてそういった環境に変えていく必要があるのではないか??

 

現在それで争っていたりします。

 

オンリーもそれを行動に具現化する為にしていることが

 

「実家を出て1人暮らしをする」

「行事などには一切顔を出さない」

 

だったりします。

 

ある種、親といっても、

 

もちろん尊敬するところはあるでしょう。

 

とはいえ、親は昔のもの、過去に執着しやすいもの。

 

自分自身がやってきた過去の栄光を

何よりも大事にし、

 

それを否定されたときには

自分らの生き方を否定されているもんだと思い込んでしまうものです。

 

もっといい生き方が全然あるのにね・・・

 

とはいえ、僕自身も序章にすぎません。

 

これから親世代を本気で教育していける環境を作り、

 

自分自身も学ぶことはもちろんのこと、

人間的なレベルアップを図り、

 

天理というものにとらわれず、

それでもどの宗教も求めている

 

「人類の幸福への探求」

 

を作っていく毎日を過ごすまでですね。

 

本日はこれまで!