オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

僕が天理教から離れようと思った理由

 

オンリーです。

 

僕自身は家が天理教という宗教をやっており、

 

僕自身も天理教の教会後継者という

 

俗にいう訳ありなやつ

 

なんですが・・・笑

 

そんなこんな、個人事業主フリーランス)になってから、

 

ほぼほぼ天理教関係の友達との

付き合いも自然となくなり、

 

今は実家の祭典にすら顔を出さなくなり、

 

天理にも仕事がない限りはいくこともなくなりました。

(4,5年前は週1で行ってた時が懐かしいw)

 

そんなこんな、何故僕が天理教から離れようと思ったのか??

 

実際僕はどちらかというかと、

4,5年前まではれっきとしたバリ天と呼ばれる人間でした。

 

※バリ天とは、ばりばり天理教の略し言葉ですw

 

高校も大学も天理

 

卒業後は天理教に勤務を数年した後、

 

天理教の修養科という3か月の修行も経て

地元に戻り、

 

自分自身も天理教の教会長後継者として、

本気で陽気ぐらしを目指したい!

 

そう思った時期が実はありましたw

(周りの友達も俗にいう天理教しかいなかった)

 

んじゃあそんな僕が何故、

 

今は天理教から離れているのか??

 

せっかくなので記事にしちゃえば、

同じように天理教や他の宗教などで

悩んでいる同世代や下の世代の

教訓になるかなーと思い発信していこうと思います。

 

まあ、はっきり言うと

 

天理教という教団に未来を感じない

 

が一番の理由なんですが、、

 

先に言うておきますが、

僕は天理教の教えや信仰している人を否定したくて

このブログをやっているわけではありません。

 

ある種、自分自身が勉強してきたことや、

俯瞰的に見たうえで現実的な意見を踏まえたうえで

発信などをしています。

(批判や愚痴などを言うのは僕も違うと思うので)

 

ただ、これは違うんじゃないか??本当にそうなのか??

そういった問題提起も兼ねて発信をしているということ、

ご了承いただければ幸いです!

 

話を戻します。

天理教に未来を感じない

 

実はこれは天理教に限りません。

 

大きく言えば日本の政治組織や

地方自治体にしても、

大企業にしても、

その他の宗教団体にしても

はっきり言えば今、大きな組織というのは

 

どこも未来がない状況だったりもします。

 

とはいえ、今日は天理教という宗教に未来を感じないからこそ、

実家の宗教を離れているので、

それを重きに書いていきます。

 

何故未来を感じないのか??

大きく理由は3つあります。

 

1,教団の仕組みが教えとズレている

 

まあ一番は間違いなくこれでしょう。

「世界いちれつみな兄弟」

「陽気ぐらし世界の実現」

「心ひとつが天の理」

 

こういったキレイごとのような言葉は

教えの中になんぼでもありますが、

 

そんな言葉の中に潜む

 

「階級制度(ヒエラルキー)」

教会制度という謎の系統と呼ばれるもの

大教会と分教会、上級や末端など、

 

一体いつの時代なんだろう??という

決まりが多くあったりするんですね。

 

例えば、こういったどこから出てきたかわからない決まりがあります。

 

「上のいうことは素直にはいと従う」

 

これってめっちゃ矛盾しているなーと

僕はこの言葉聞いた時から違和感を覚えていて

 

「素直にはい!ていわないといけない時点でそれもはや素直じゃないから」

 

て僕は率直に思ったんですよね。

 

だってそうじゃないですか??

「素直」って自分自身の意見を率直に言うから「素直」なのであって、

 

それを言わされている時点で「素直」でも何でもないわけです。

 

ある種、下の者を服従するうえで上層部が都合のいいように作った

戒律チックなものだなと思ったりするわけです。

 

 

ある意味「心次第が天の理」に反している教えが、

教団内で横行しているといっても過言ではないでしょう。

 

それ以外にもお供えの強要にしてももちろんですが、

(これは正味宗教団体どこでもある)

 

教会に関わるごとに立場を増やされ、

会議や行事を都合をつけて参加するようにと言われ、

教会関係の御用で忙殺し、

空いた時間に食う為にバイトをする毎日。

(貧乏まっしぐらですね)

 

末端や下の教会の子供は

上からのお告げなどで天理の学校に入らされるわけですが、

 

本部や上の子供は国公立や天理よりも偏差値がいい学校ですね。

そういうところに行かせるなど、

 

ある意味「格差」というものを家系で世襲している。

 

実は天理教は教団では「家柄」ですべて決まると言っても過言ではないでしょう。

 

末端の子供は末端の信者にしかなれません。

 

どれだけ優秀だろうが、教団内では優遇されることはなく、

いい家柄であれば、出世も楽勝です。笑

(とはいっても、衰退している教団で出世したところで先は見えていますが)

 

一番謎なのは、学校で同級生や後輩だった人間を

立場が変わると「様」や「先生」をつけなければいけないところでしょう。

 

これは違和感ですねw

数多くのセミナー講師をやっていたり、

何か芸をもっていたりするような人に「先生」と呼ぶのは

あるべきものだと思いますが、

 

ただただ家柄で成り上がった人に「先生」「様」付けは

はっきり言って謎です。

 

話の情報密度はTwitterのツイートレベルです。

 

そんなTwitterのツイートレベルのお話にお礼を包む・・・

やばくないですか??

 

僕が離れようと思った決め手はこれでした。

 

 

「お前も自分のことばっかりせず、

教会や上のことやっておけば絶対に幸せになれるから、

早く今やっていることをやめて教会に尽くせ」

 

 

上の世代の方は恐らく死ぬまでそれでいけるでしょう。

 

しかし、当時20代だった僕からすれば、

そんなことやったら自分の人生が破滅するのが目に見えてしまいました。

 

教団の歯車になって人生積むのがオチだなと思ったわけです。

 

教理については、教祖伝にしても、おさしづにしても

はっきり言えば謎も多かったりします。

 

というのも、

 

「歴史は美化される」

 

改竄(かいざん)も少なからずされているからです。

いや、むしろされていなければおかしいわけですから。

(これについては長くなるので、別の機会に話せたらと思います。)

 

2,上世代と若年世代で分離している

 

これ面白いところですが、

 

実は教団内部では

 

大体50~70代の上層部及び、上世代の人間と

20~40代の若年世代の人間で

動きが分離していたりします。

 

もちろん、天理教全体を動かしているのは

上層部や上世代ではあるものの、

 

水面下では時期トップ率いる青年会と呼ばれる組織で

上の世代の方向とは全く真逆のことを

推進していたりもしています。

 

これはまあ面白い動きだったりもしますが、

反面、これによる組織の混沌化が進んでいることも否めないところでしょう。

 

上世代はこれまでやってきたことを踏襲したい「保守派」

若年世代は、新しいことを取り入れたい「リベラル派」

(とはいっても、そこまでリベラルでもない)

 

どっちにせよ、恐らくこの拮抗は続くでしょう。

上は自分らがひくまでは安泰でいたいでしょう。

 

下はもっと変えていきたいけど、上の邪魔が入ったり、

気を使う毎日。

 

これは恐らくどこでもあるあるな話なわけで、

僕もとあることで変えていこう!と動いたものの、

 

「これは無理だわ!」

 

と察して、その世界とは違う領域で仕事をしたり、

生きていくことを選びました。

 

はっきりいって、分離していく分だけ、

組織のねじれが広がっていくのは明白です。

 

そっちよりも志がある若い世代で立ち上がって

別の教団作るなり(異端と呼ばれることは覚悟してになりますがw)

起業するなりして

新しいコミュニティ作った方が

今の教団以上によりよいものが

作れるんじゃないかなーと思うほどです。

 

3,そもそも宗教が日本では衰退産業

 

そしてもう一つがこれですね。

 

そもそも、宗教が衰退産業ということは明白です。

 

この30年間で仏教系の信者が4000万人減少しているように、

 

天理教も教会のお返しといって、

法人として活動不能な教会が多くありました。

 

宗教自体をやっている人間が高齢者に多く、

 

NHKの調査でも、若い世代ほど宗教離れが著しいことを論文にも

出していました。

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190401_7.pdf

 

僕もそうですが、

宗教をやる意義って今の時代

特になくなってきているかと思います。

 

むしろそちらより重要視したいことって、

天理教にしても、神道にしても、仏教にしても

 

どういった思想であって、

それを日常生活にどう生かしていくか??

 

を考えることが大切だなと思うわけです。

 

その上で天理教が目指す「陽気ぐらし」であったり、

仏教が目指す「極楽浄土」「成仏」することにしても、

 

キリスト教が目指す「人類の救済」

PLが目指す「世界平和」などなど、

 

そこにいかに近づき、最終的に求めること。

 

 

「人類の幸せの探求」

 

それを宗教入る入らないとか関係なく、

周りの人と共有していくことが大切だということです。

 

はっきりいえば、

天理教に入らないと幸せになれないとか、

そういったことは絶対ないわけです。

 

僕らはどこの宗教や組織に属するかよりも、

 

いかに周りの人らやその他大勢の人と

よりよい生活をしていけるか??

 

ここにリソースを注入するべきです。

 

そういった領域を僕自身も作っていきたい。

 

宗教がどうとかそんなことは正直どうでもいい

 

新しい領域・場・コミュニティを形成していく。

 

そのような空間を構築していきたいこの頃です。

 

是非、そんな志の人とお会いできること、楽しみにしております。

 

本日はここまで!