オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

宗教や会社に依存するのはやばい

 

オンリーです

 

前回は天理教から離れようと思った理由について

記事を書きましたが、

 

そもそも宗教や会社に依存すること自体が

今の世の中を生きていく上でやばいなーと

 

つくづく痛感しています

 

特に20代・30代で生きている人たちほど、

そういったところに依存して生きていくのは

もちろんのこと、

 

年功序列社会などの中で、

人生を誰かの言いなりになって生きていく

 

これに危険度があることは明白だったりします

 

僕も家が天理教という特殊な家庭であることはもちろん、

 

大学卒業後の宗教法人勤務にしても、

 

その後バイトなどを経て働いた経験を踏まえても

 

どこかしらに言いなりで生きていくほど、

自分自身の人生を不幸にしている

要因になりかねないわけです

 

特にそういった環境にいる人たちは

 

「苦労することが当たり前」

 

であったり

 

「自分の人生はもう決まっている」

 

そういったことを周りの環境から潜在的

刷り込まれていることが多く、

 

自分はその領域から抜け出すことができない

 

本気でそう思ってしまう人が世の中には五万といます

 

宗教から抜け出せない・・・

 

会社を辞められない・・・

 

団体や組織を抜けることはもうできない・・・

 

その団体や組織から刷り込まれることで

 

自分自身の人生は泥沼と化してくる

 

もちろんそれで幸せならいいのですが、

 

半分以上の人はそう思っていない状況だったりもします

 

こんな時代だからこそ、

 

自分自身で一歩踏み出す行為を是非してほしい

 

そして、何事も疑って考える力を身につけることが大切で、

 

天理教だって、会社だって、

 

本当にそのルールが正しいものなのか??

教えが本当に歴史を通してあっているものなのか??

 

それを自分自身の解釈を作った上で、

合っているかどうか吟味していく

 

僕は残念ながらそのほかの思想を

学んだりした中で分かったことは

 

天理教が全てではない」

 

「歴史は美化されているからこそ、現存する教えや歴史が絶対に正しいとは限らない」

 

「そもそも、残っている記録ですら、本当に起こっていないことだってあり得、

誰かの利権や陰謀によって残っている記録だってあっておかしくない」

 

そういったことをまじまじとここ数年で感じました

 

もちろん、僕が考えている天理教云々、宗教や思想の像というのも

 

確実に正しいわけではありません

 

しかし、何が正しいのか正しくないのかを考えるよりも、

 

「その上で今をどう生きるか??」

 

を考えていくことが大切だと思います

 

そういった意味で、一つのことに依存して生きるよりも

 

もっと広い視野で、自由に生きていく

 

そういった毎日をみなさんが過ごせたら嬉しいなと思うこの頃です

 

本日は日記チックになりましたが、ここまで!