オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

その行動、本当に「親孝行」なのか??

オンリーです。

 

今日もせっかくなので、

 

とある疑問について話していこうと思います。

 

それは・・・

 

「親孝行」

 

天理教をはじめとする宗教者であったり、

 

一般的な人たちというのは

 

こういうところを大事にする人、多かったりします。

 

僕自身も「親孝行」、

 

親を大事にする気持ちというものは

 

すごく大切だと思いますし、

 

自分自身を何十年も育ててくれた

 

そういった感謝の気持ちを持っているほど、

 

毎日を過ごすことは忘れずにやっていますが、

 

そもそもですよ??

 

「親孝行ってなんですか??」

 

こう聞いたときに返ってくる言葉で

 

違和感を覚えることがあります。

 

「親の言うことを素直に聞くこと」

 

特に天理教ではどこから出てきたかは謎ですが、

 

自分の親のいうことは絶対服従的な、

 

そういった強迫観念(笑)があったりします。

 

これが親レベルで行われているなら

一般家庭の中でも多くあるでしょう。

 

しかし、天理教の場合はもっと謎の「親」があるわけです。

 

そう!

 

「理の親」

 

「理の親」ってなんですか??

 

ていうか「理の親」ってどこから作られた言葉なんでしょうか??

 

僕も理解できていなかったりしますが、

 

これ、

 

超あいまいですw。

 

これについては、別のブログでわかりやすく解説した記事がありました。

 

理の親ってよく言うけど、そんな教理あるの? | あれもこれも (aremocoremo.info)

 

この記事の中によると、

 

「人間と人間、教会と教会に高い低いの序列があって、このことを「順序の理」という。こうした高い低いの序列において上に立つものを「理の親」というみたいな、」

 

とまあ、平たく言えば、人や教団の中に

階級がちゃんとありますよということですね。

 

んじゃあ天理教信者にとっての理の親って誰のことを指すのか??

 

ざっくりいえば

 

「本部の上層部の人間」

 

大教会長

 

「自分の上の教会の会長共」

 

がわかりやすいですね。

 

こういう人たちは俗にいう「理の親」なので、

 

「ちゃんということを聞きましょう」

 

という対象に入るわけです。

 

でもねー、今日はここにハンマーをぶち叩いていきましょう!

 

そもそもですよ??

 

「何で先祖や親が救われたという過去があったとして、

自分らが普段関わらない関係のない人たちのいうことを聞かないといけないのか??」

 

ということですよ。

 

だって関係ないじゃないですか??

昔祖父や祖母はお世話になったかもしれない。

 

それはその通り。

 

でも今は??

 

自分たちに何をしてくれているのでしょうか??

 

何か行事があれば、人を駆り出して

 

「※ひのきしん」という呪いの言霊を乱用し

 

天理教では自分の生かされている体に感謝をする奉仕の行為のことを「ひのきしん」と呼ぶ。

 

無償で働かせれば、

(そもそもひのきしんは無償が前提でやるものではない)

 

江戸幕府時代の大名たちの参勤交代のような

 

「毎月大教会や本部に参拝来てください!自費でね♪」

 

をさせたり、

 

建物が老朽化したら、

「皆さん、大教会を直したいので寄付やお供えをしてください

1教会何〇万円で!」

 

的なことをしたり、

 

「毎月お供えを上級にしてくださいね。一口〇万円で」

 

普通に考えればこれは異常だと思うんですね。

 

だって先祖や親世代は確かに恩があったかもしれない。

 

でもそれをいつまで続けさせるの??

 

ていうよくわからない本当に意味不明な

 

「親孝行」になっちゃいますよね。

 

かくいうオンリー家もなかなかやっちゃっていました。

 

僕自身は天理教をやめているとはいえど、

 

親はまだ教会長をしているわけですから

 

その辺は今でもそういった謎の上に尽くす制度は

 

周りにも迷惑をかけるからやめておけと言いますが、

 

数十年前は毎月数十万円も上にお供えをしていたそうです。

 

兄弟内でその話をした時に

 

「それ、えぐい固定費やんw」

 

「むしろそのお金を毎月自己投資に回した方が

絶対に教会うんぬん、周りの為になるやん」

 

そういった話題でもちきったほどですw

 

僕もそれだけ毎月余裕があるんだったらそこに

リソースをかけた方が、先にもつながると思ったほどです。

 

逆を言うとそれが教団の狙いでもあるわけですねー。

 

教えにもあります「貧に落ちきれ」

 

こうする方が教団として統制がとりやすいからですね。

 

お金もない・時間もない

 

こういった生かさず殺さずにする方が都合がよかったんでしょうね。

 

とはいえ、本来そんな教えなのか??といえばこれは

 

Noです。

 

上層部などは原点にある「おさしづ」に出てきているから

というかと思いますが、

 

この「理の親」についてでている「おさしづ」は明治32年のもの。

 

つまり、

 

「教祖が言ったことではない」

 

正確には本席と呼ばれる

「教祖」の代わりとなる人物。

(とはいえ、かなり教祖に心酔していた人物の為、元々偏りがある)

 

その方が口頭でいった言葉であり、

おさしづ自体がそもそも

本人直筆でもないため、正直かなり怪しいにおいがします。

 

誰かの都合がいいように編纂されている可能性だってあるということです。

 

これは「教典」にしても「教祖傳」にしても同じことが言えます。

 

書いたのは本人でもないわけですから、

歴史は美化されているのと同じように

 

必ず教団でどこかしらは美化しているはずです。

 

「上のいうことや親の言うことは素直に聞きましょう」

 

これは僕自身は一番やってはいけないことだと

断言できます。

 

というのも、

僕も個人事業で現在仕事をしている中で

 

様々な経営者の方や事業されている方と

お話をする機会がありますが、

 

自分の人生をより変化させていく為に、

皆さんがどこに重きをおいてやっているのか??

 

をお聞きするようにしていますが、

 

そういった人生の転機に来ているときに

一番してはならないこと。

 

それは

 

「親、もしくはそれに該当する人に相談すること」

 

だからです。

 

もし自分の親が孔子ブッダのような教祖とかであるなら別ですがw

 

基本的に親やそれに該当する人に相談するとどうなるのか??

 

答えが決まっているからです。

 

その変化しようと思っている領域に

 

ブレーキをかけることを言うことしかできない

 

レベルだからです。

 

例えば仮に「理の親」として、

 

教会長しかやったことがない教会長に自分の進路などを相談しても

 

返ってくる回答は「教会長」レベルの回答しか返ってきません。

 

天理の学校にいけなり、

教会に伏せこむか本部勤務しろなり、

 

そういった狭い道筋の回答しか返ってこないわけです。

 

自分が事業を起こすであったり、

大切な相談を持ち掛ける時は決まって、

 

「自分がやろうとしていることの領域にいる人たち」

 

に相談をして、意見を聞いて行動した方が手っ取り早いんですね。

 

でも最終的にそれでうまくいった方が

 

親にも孝行できれば、

 

周りも幸せにすることができるわけです。

 

親の言いなりになったらいい人生になるのか??

 

そんなわけがありません。

 

むしろ逆ですよね??

 

子供のわがままを受け入れて応援してくれる親こそ、

 

本当に「いい親」なのではないでしょうか??

 

ある種、そういった親を持っている皆様は

 

今後は「子」が「親」を教育していく時代なのかもしれません。

 

僕は、「親」を教育できるだけの教養や

素養を身につけることに

 

今後も精進したいなーとも思うわけですね。

 

それによって、本当の「親孝行」になるのであれば、

それが一番ベストだと思うほどです。

 

本日はここまで!