オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

天理教でいう「御用」は現代でいう「仕事」と何ら変わりはない

オンリーです。

 

本日は天理教でよく使われる「御用」は、

 

「仕事」と何ら変わりはないという

 

逆説的な観点で記事を書いていきます。

 

むしろ今までは天理教をしている人間の中では

 

お道(教内)の「御用」たるものが一番尊く、

 

仕事をすることに対して「悪」だと思われる慣習がありました。

 

とはいえ、これは昔の人が生み出した偏見だったりもするんですね。

 

何故か天理教の上の世代の方は、

 

仕事への偏見的なものを持っている人が多かったりもします。

 

「この道一筋で生きるのが正しい」

 

であったり、

 

「教会長になって布教をして、上のいうことを聞いていたら仕事なんてする必要はない。」

 

今ではこういうことを言う人は減りましたが、

 

とはいえ一般企業等で仕事をするということに大きな偏見を持つ方も多かったりします。

 

そして、僕みたいな個人事業主や起業をするなんてもってのほかの世界です。笑

 

しかし、なんでそんなに仕事=悪が染まったのか??

 

これは天理教がというより、

そもそも天理教ができた時期の風潮が大きく影響しています。

 

江戸から明治に入るときというのは、

江戸幕府が道徳として取り入れた教えが朱子学でした。

 

ja.wikipedia.org

 

 

平たく言えば孔子が伝えた「論語」を偏った解釈をした

 

教えだといわれているのがこの「朱子学」で、

 

善悪思想が強く出るような教えであり、

 

江戸時代以降権力者が偏って都合のよいように使ったこともあり、

 

日本人の精神には、少なからずこの

 

朱子学的な要素というものが現在も残っています。

 

その中の一つに誤って解釈されたのが

 

「お金儲けは悪」

 

という解釈。

 

現在でも天理教を含め、

 

宗教団体というのは原則、営利行為は禁じられています。

(その代わり、不動産等の税金を非課税などの優遇はされてはいるわけですが)

 

しかしある種、これは天理教団にしてもそうですが、

 

権力者が下の人間を統制させる為の「罠」とも解釈できるでしょう。

 

「お金儲けは悪」という教えを根底に説くことで

 

下の者の財力を貯めさせることを抑制させることができます。

 

これは日本の教育も同じような基盤になっており、

 

本の学校教育は平たく言えば

 

「サラリーマン養成教育」です。

 

ただただ暗記させる教育方針によって

 

「平均的で考えない人達」を量産し、

企業及び社会の歯車となって、

 

死なない程度の給料を労働者に分配する。

 

そのような仕組みを作り上げたわけです。

 

ちなみに朱子学が知を嫌った理由として

 

「知の弊害として、計略に凝りすぎる傾向があり、裏切ったり、だましたりすることがよくある。」

 

「手柄や利益を主な目的にした場合、知恵ばかりを働かせるようになり、仁義や道徳といった面から離れてしまいがちだ。」

 

 

 

このような主張をそのまんま引用したような

だからこそ、僕たちは労働者以外での働き方がわからないわけです。

 

これを天理教に当てはめると

 

教団の歯車になる人間を養成するのが学校や専修科に属するわけです。

 

学生時代に忠誠をきかせるために寮生活で軍隊チックなことを奨励し、

 

そして本部や大教会で青年で下働きをさせ、

 

最終は教会本部や大教会の歯車になるために

 

教会長へと就任させたり、教会へ嫁がせる・・・

 

ある種日本の教育と似たり寄ったりの部分がありますが、

 

そういう構造に無意識的に僕たちは洗脳されていたというわけです。笑

 

それはともかく・・・

 

しかし、この朱子学の解釈は孔子が伝えたかったものとちがう!

 

と声をあげた人物がいました。

 

渋沢栄一です。

 

ja.wikipedia.org

 

渋沢さんの書籍「論語と算盤」にはこういったことが書いてあります。

 

論語には)道理にはずれるくらいなら金はあきらめた方がいいと言っているが、必ずしも進んで貧乏せよと言っているわけではない。」(中略)やはりこの裏側には「正しい金の儲け方」という趣旨が潜んでいることを忘れてはならない。

 

 

 

つまり、儒学的にみれば、

 

「正しい道理をもった上で正しいお金儲け」

 

をすることが大切なのであって、

 

これは恐らく、天理教の教祖も同じことを言うかと思います。

 

ある種どこかしらで信者を洗脳する為に

 

教祖伝や教典の改竄(かいざん)されていると見れば、

 

ある種潜在的朱子学に影響されていることが大きいでしょう。

 

とそれはおいといて・・・

 

そして「仕事」に対しての誤解が大きいから生じた

 

問題でもあるのではないでしょうか??

 

古来日本人は、働く理由として「傍を楽にする」為、は傍楽→働くと教えられていました。

 

これは天理教の言葉でもありますが、「はたはたを楽にするため」とあります。

 

これは天理教の言葉だと思っている人も多いようですが、

 

元々日本にあった言葉だったりもします。

 

つまり、仕事というものがそもそも、

 

「はたはたのものを楽にする為」

 

という解釈ができます。

 

そもそも、今仕事をされている方や、経営者をされている方にしても、

 

世の中の企業がやろうとしていることは、

 

「人の生活を豊か・楽にしていくこと」

 

これを遂行する為に仕事をされているわけです。

 

ということは、世の中の人は

 

周りの人の幸せを願い、働いているわけです。

 

そうじゃない人もいるにせよ、そう思って本気で働いている人だっている。

 

ある種、それって神様の「御用」ではないでしょうか??

 

だからいつも思うのは、天理教の「御用」が一番重要って考え方は

 

僕はおかしいと思うんですね。

 

むしろその考え方は「仕事」を

 

本気でしている人たちへの冒涜だとも思うわけです。

 

御用であれどそれが人の為になっていることなのかを考えることが大切です。

 

それがただただ組織の為になっているだけで、人の為になっていないのであれば

 

今すぐやめるべき慣習だともいえるでしょう。

 

僕らが目指すことは教団をよりよいものにしていくことも少なからずあるにせよ、

 

一番は「世の中を陽気ぐらし」にしていくことです。

 

その為に、毎日仕事をすることで世の中の人が

 

幸せになれる商品を作り、売り、サービスを提供する。

 

それの対価でお金という信用をいただく。

 

そういった信仰心をビジネスとかけていくことが大切だと思うわけです。

 

僕も、とある事業で対面やオンラインでお客様と関わり、

毎日を過ごしていますが、

 

その中で大切なことって、いかに来てくださる方を

 

その事業を通して幸せにしてあげるか??

 

これを毎日意識してさせていただいております。

 

これが本当の「仕事」であって、最終的には神様の「御用」になっていく。

 

そう信じて、今後も自分が求めている仕事道を通りたいと思うばかりです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。