オンリーワン@脱天理教教会後継者ブログ

脱天理教教会長後継者等変わった経歴の30代が思想・哲学・生き方を生き方をぶっ放します。

はじめまして!オンリーです。

はじめまして。オンリーと申します。

 

普段はとあるものでフリーランスで飯を食っている

 

正体不明の30代です。笑

 

 

今日はそんな、身元不明(表現変わっている)の30代が

 

どういうやつなのか??

 

自己紹介するブログをここに書かせていただきます。

 

私、どういう人かというと

 

まあざっくりと経歴を書かせていただきます。

 

・実家が天理教カルト宗教新興宗教)の教会

 

・しかもどうやらその教会の後継者らしい

 

・高校と大学も天理高校天理大学という俗にいうエセ天理エリート

 

・卒業後は某宗教団体(隠しきれていない)で数年勤務

 

・地元に帰ってからは夜勤専従の仕事を経てフリーランス

 

一体どうやったら宗教団体勤務からフリーランスになるんやら・・・笑

 

と思った方も多いでしょう。

 

これには大きな理由があるのですが、せっかくなので上記の順で

 

なんちゃってTENRI人ストーリーをここに記します。

 

興味のある方は最後までお読みください。

 

1,実家が天理教というカルト宗教新興宗教)の教会

 

まず最初に出てきたのが、

 

はい!まさかの家が

 

カルト教団

 

一応新興宗教という部類にあたるでしょう。

 

とはいえ、

 

日本においてはオウム真理教の「地下鉄サリン事件」以降

 

宗教に対しての偏見は一般的には大きく、

 

諸外国からすれば日本人は宗教の教養が低いとみなされがちだったり・・・

 

それはどうでもいいとして、

 

天理教とは、江戸時代に始まった新興宗教で、

 

中山みきという女性がはじめられたことでも、

 

稀有(けう)な宗教だったりもします。

 

とはいえ、実は教祖自体は「天理教を始めます」やら言った記録はなく、

(教団としては教祖に神様が宿った時が立教となっている)

 

恐らく神様という存在の信仰を広げたかっただけで、

 

恐らく宗教には興味はなかったのだと思いますが、

 

その時代背景によって宗教扱いにならざるおえなかったのかと察します。

 

この辺はある種キリスト教も同じようなもので、

 

エスキリストもキリスト教を始めます。」とは言わず、

 

民衆が勝手にキリスト教と崇め奉った結果、キリスト教が始まりました。

(そこは天理教と類似するところだったり・・・)

 

それを代々、祖母と祖父から代々、家を教会にしちゃうまで

信仰しちゃったのがうちらしいです。笑

 

 

2,しかもどうやらその教会の後継者らしい

 

そのまんまです。笑

 

その宗教を私の代まで信仰してしまい、

 

今も親は継がせようとしている。これが現状だったりもします。

 

とはいえ、このブログの題名、なんちゃってTENRI人です。

 

僕はどうかというと、

 

「あんまりその気はない」

 

が本音です。笑

 

なんちゃってTENRI人なわけですから、

 

ある種、宗教の教えなどを道徳的規範として取り入れるとしても

 

組織に忠誠するようなところまでは行きついていません。

 

そのことについては、このブログで記事にしていこうと思いますが、

 

はっきり言えば、今の時代というより、日本においては「宗教」というものは

 

不要とまでは言わないものの、そこまで必要ではありません。

 

何故なら、もともと日本人は日本古来から

 

自然崇拝(アミニズム)が形成されているからです。

 

要は神の道。日本人の精神は神道が浸透しており、

 

クリスマスも、ハロウィンも、初詣も、お彼岸も

 

全て1年間の習慣として取り入れることができる民族だからです。

 

だからこそ、どこに属しているとか何教を信仰しているより

 

「人類の幸福」という天理教でいうならば「陽気ぐらし」

 

宗教とか関係なく目指したら

 

別にそれでいいんじゃないでしょうか??

 

というのが僕の意見です。(上の世代に言ったら数時間説教されますw)

 

まあそういう外道ななんちゃってTENRI人してるからこそ、

 

フリーランスで仕事するほど教団・組織に

 

適応できない人なのかもしれません。笑

 

もちろん、後継する気がないのはそれ以外の理由も多くあります。

 

それもストーリーを見ていきながら、

 

紹介できたらと思います。

 

・高校と大学も天理高校天理大学という俗にいうエセ天理エリート

 

天理には「天理エリート」という言葉があります。

 

これは天理の「幼稚園」「小学校」「中学校」「高校」「大学」

 

全てを通った人が「天理エリート」と呼ばれる

 

名誉があるのかないのかわからない、称号だったりもします。

 

大学の偏差値を見れば、あまりよいものではないですが・・・

 

僕はその中の「高校」「大学」にしか通っていない為、

 

俗にいう「エセ天理エリート」です。笑

 

小学校・中学校は地元大阪の学校に通い、

 

高校で奈良県へ。

 

さすがに大阪から遠いので寮へ入ります。

 

この寮がなかなか面白い寮で、

 

まず、最初の一週間は規律訓練という

 

地獄の軍隊ごっこをさせられます。笑

 

 

挨拶を大声で練習させられたり、

 

どこか遠くまで走らされたり、

 

寮歌という地獄のような歌を音程関係なく叫ばされたりw

 

謎に常に怒られまくり、

 

精神状態と肉体を参らせる儀式的なものがあります。

 

寮では上下関係があり、

 

先輩は神様! 後輩は奴隷。

 

そのような環境というものが構築されていました。

(僕らの世代あたりから徐々にゆるくなりましたが)

 

1年の間はまあ地獄で、3年になれば天国に行ける感じ??

 

今となってはいい思い出なのかもしれませんが、

これが宗教を信仰する学校の本質なのかもしれません。

 

とはいえ、私は集団生活できるほどの協調性がまったくなく、

 

まあケンカばかりの毎日でした。

 

敵ばかり作りすぎて、同級生からはいじられ、罵られが3年間続き、

 

大学は

 

「絶対に寮生活はしない!」

 

と意気込んで、大学は大阪から通うことに。

 

とはいえ、この高校・大学はエスカレーターすると

 

同級生や先輩・後輩も同じ人が多かったりしました。

 

そこで僕は大学で通いにした以外にも

 

仲のいいメンバーを戦略的に違うメンバーと過ごすように。

 

そのおかげか大学はわりかし居心地がよい4年間を過ごせましたw

 

大学時代は俗にいう

 

「勉強をしないアホ大学生」

 

バイトや学生が集まるサークルで行事や

 

イベントに参加したり企画したり

 

飲み会や当時付き合っていた彼女とデートをしまくる毎日。

 

それなりに充実したスクールライフを過ごせました。

 

とはいえ、大学でも近寄らないようにしていたところはもちろんありました。

 

「飲ませがひどい集団」です。

 

天理教天理大学あるあるですが、

 

基本的にタバコとお酒が好きな人が何故か多いのが「天理教です。

 

体を大事にする教えがある宗教が何故かタバコと

酒好きという謎な側面がありますが・・・

 

まあ飲ませもひどいもので・・・

 

天理大学は当時(今は知りません)、

 

「合コンに誘われたくない大学ランキングで上位」

でも有名でした。笑

 

やはり飲ませがひどかったからでしょう。

 

実際、僕の上の世代は「飲みニケーション」が通常な世代。

 

誰かに飲ませてアル中で倒れて救急車で

運ばれるなんてことも多々あったほどです・・・笑

 

そういうところには極力顔を出さず、

 

楽しく飲んだり話したりできるところだけを行った記憶があります。

 

学生時代はまあ、なんだかんだ楽しんでいた

 

なんちゃってTENRI人でしたとさ・・・

 

とはいえ、このお酒とたばこについては、

 

後々も苦しめられる一端でもあったり・・・

 

・卒業後は某宗教団体(隠しきれていない)で数年勤務

 

大学を卒業後は、諸事情もあり某宗教団体にて勤務をすることに。

 

ここで高校時代嫌だった寮生活に戻るわけですが、

 

高校時代は縛りが大きかった半面、宗教法人の寮というものは比較的緩く、

(女子寮は謎に厳しかったw)

 

女性を寮内に連れ込むと即退寮

 

以外は自由なものでした。

 

とはいえ、

 

寮則もあるようでない場所なので、

 

僕が入ったころはましになったといわれるものの、

 

まあ無法地帯でした。笑

 

トイレ掃除は当番でやらない人は多いわ

 

本当に宗教を信仰する人の寮なのか疑いたくなるような

 

野蛮さというものがありました。

 

そして月収がなんと2万円!

 

食費・寮費・保険や年金は法人から出ていたので厳密には

年収70万円はあったにせよ、

 

月々2万円しかもらえない生活を過ごしました。

 

まあ当時高かった携帯代と飲み会を何回かすればまあなくなりますww

 

とはいえ、ここはここで楽しい毎日でしたが、

 

ある種、天理というところの疑問点が多く出てきた時期でもありました。

 

まずはやはりお酒とたばこ。

 

たばこ吸う人は多いは、なんせ寮でもどこでも煙の臭いが気になる気になる。

 

そしてお酒の飲み方はまあ汚い。笑

 

毎日飲み会が開催される始末。

 

それが悪いとは言わないにせよ、常々お酒を飲みながら

 

周りの人たちの愚痴大会が勃発するわけです。

 

もちろん、僕も流されたことも多くあり、

 

職場はというと、ある種ブラックな部分もあれば、

 

当時は、同期の子らの部署で夜中12時に寮帰宅してくる子も多く、

 

常にお風呂場で愚痴を言っていた子もいました。

 

「俺の仕事、時給換算したら〇0円やー」

 

とか、今聞いたらとんでもない問題ですね。笑

 

僕も数年勤務するも、最終的には仕事をする目的がなくなり、

 

当時付き合っていた彼女からボロクソに人格攻撃を食らい別れるなど

 

3か月近く立ち直れず、

 

いつの間にやら数年続けてしまう事態にはなったものの、

 

最後は逃げるように辞めたことを覚えています。

 

もちろん、人格攻撃のダメージや飲み会の愚痴大会、

仕事の意義に疑問をもっていたのもありましたが、

 

同じ法人で勤務している人たちと関わる過程で

 

その人らが生き生きしている姿が見えてこなかったこと

一番大きかったです。

 

それが何十年後の自分の姿と考えたときにゾッとしてしまい、

 

「早くここから抜けなければならない」

 

そう思うようになったことが最終的にはやめるきっかけになったんだと思います。

 

・地元に帰ってからは夜勤専従の仕事を経てフリーランス

そして、数年の天理生活を終え、地元へ。

 

実はこの時の僕はまだ天理教の教会長に志をもってやっていく!

 

そういう決意をもって実家に帰ったことを覚えています。

 

「本気で世の中・天理教内に陽気ぐらしを広めていくんだ!」

 

※陽気ぐらしは、天理教でいう一番の目標で、平たく言うと、人がみんな仲むつかしく毎日を過ごす暮らし方のことをいいます。

 

そんな前向きさも残っていたまま地元に帰るわけですが

しかし、その後、夜勤専従の仕事につく傍ら、

 

「大教会」と呼ばれる上の教会や、

 

自分の教会よりもヒエラルキーが上にあたるところに関わっていく中で

 

大きな「違和感」を覚えるようになります。

ヒエラルキーがある時点でまあ違和感ですよねーww)

 

「上のいうことは素直にいうことを聞く」

 

「上の教会に青年(修業的なもの??)にはいかないの??ちゃんといきやー」

 

「自分のやりたい仕事なんか辞めて、天理教一筋に通れ!」

 

「お供え(お布施)をするから人が助かるから、お供えちゃんとしろよ」

 

大教会長のおかげで今がなりたってるんだから、感謝しろよ」

 

「この行事は毎年やっているから、今年もやらないといけない」

 

「行事の時は、全員が黒いハッピを着て参加しなければならない習わし」

(とある行事のこの黒づくめ姿がいっぱいの写真を見たときに、ゾッとしました。)

 

など、上記のことは一部ですが、宗教を知らない人などからすれば、

 

違和感しかないでしょう。

 

僕も違和感しか感じませんでした。

 

組織とはいえ、「上に尽くさないと助からない」

 

あたかもそのような非合理な教えが浸透して、

 

ある種「洗脳」のようなものが勃発して

 

周りの人たちは上の意見を聞くだけの「何も考えていない人」

 

になっていることに違和感を覚えました。

 

「ここにいてはいけない」

 

僕はそう感じてから、

 

上の教会への毎月の参拝や例会・行事に参加することをやめました。

 

最初はちゃんといっていた故、

 

親からは行かないことに怒られたりとかもしたものの、

 

「このやり方はおかしい!」

 

と親にも主張するようになり、そこからかれこれ2,3年は顔を出していません。

 

たまにお会いすると「ちゃんと来いよ」とは言われるものの、

 

「なんでこないか?」は聞かれないので、何も言わずにしています。

 

そしてその中で、一昨年からフリーランスに転向。

 

今までは二足の草鞋(天理教合わせれば三足の草鞋w)でしたが、

 

元々仕事をして教会で生活するうえで生きていく

 

という形でバイトや仕事をしていましたが

 

そんなにやりたくないことで時給で働く意義がわからなくなり、

 

自分の得意分野のことで勝負をかけ、

 

何とか現在は食っていけるようになっています。

 

その道中もそんなにうまくいったとは言えませんが・・・笑

 

これに関してはまた語れるときに話したいと思います。

 

・なんちゃってTENRI人が目指すもの

 

とここまで、自分自身の自己紹介および、

 

半分以上が自分自身がかかわった

 

天理教についてを多く語ってしまいましたが、

 

面白く読んでいただけたでしょうか??

 

そのうえで、このブログが目指している・求めているものは

 

「人類においての真の幸福」

です。

 

怪しいですね。笑

 

今、日本・世界において大きな違和感というものは、

 

宗教団体を限らずして多くあると僕は思います。

 

世界の覇権をにぎる熾烈な中国とアメリカの争い

 

SDGSといういいことしようと見せかけた利己的な人間の陰謀

 

地球温暖化や環境問題を取り上げ、脱炭素を進めようとする功利主義

 

コロナによるメディアの偏向報道及び、予防接種の同調圧力

 

日本における政治の腐敗

 

たくさんの違和感というものが、世の中には溢れかえっています。

 

僕はフリーランスになる前、ある種人生に絶望した時期がありました。

 

どうがんばっても組織・国を変えることはできない。

 

自分がどうあがいても、教団にしても、日本にしても、世界にしても

 

変えることは不可能だと。

 

その中で、自分の好きなことを仕事にして、自由に生きる道を選択しました。

 

世俗的な生き方をしても、世の中を変えることはできない。

 

でも自分の人生は何ぼだって変えることができる。

 

その為にフリーランスに転換したといっていいでしょう。

 

しかし、

 

だからといって諦めたわけではありません。

 

今でも日本を、世界を、幸せな世の中にしていきたい!

 

それは常に変わらない願いでもあります。

 

このブログが目指したいことは、

 

宗教・生き方・哲学・常識・精神世界・習慣など

 

様々な分野を通して、

 

「人類の幸福」について本気で考えていきたいと思っています。

 

天理教に入信するから幸せになれる」

 

とか

 

「大学出て一般企業で働いて結婚して家を持ったら幸せ」

 

とかそんな短絡的な内容を書くつもりはありません。

 

自分の人生の生きざまをたとえにしながら、

 

一体僕らが目指す生き方というのはどのようなものなのか??

 

それを本気で追及していく。テーマになっています。

 

社会人として、社会の歯車となることを目指すのが幸せか??

 

人として、どのような教養を持っておくことが幸せなのか??

 

どうやって自分自身を養っていくか??

 

恋愛や結婚をすれば本当に幸せになれるのか??

 

その根本を、このブログで、天理教とは関係なく、

 

書いていけたらと思うばかりです。

 

今後は色んなジャンルを入れ込みながら、僕の人生がストーリーとして、

 

このブログを書いていけたらと思います。

 

気に入っていただけたら是非フォローお願いします。

 

それでは本日はこれにて終了!